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The Class Nature of China (英語), Spartacist (English edition)69 より翻訳

以下の文書は、『Spartacist』[英語版]第69号、20248月から翻訳されたものである。


中国とは何か?諸支配階級から極左まで、この一見単純な問題で意見が分かれる。米国の資本家レイ・ダリオに言わせれば、中国の体制は国家資本主義であり、「資本主義と資本市場の発展が、数年後には、米国よりも中国でずっと受け入れられるようになるかもしれない。」中国共産党総書記の習近平は、こうした見解を直接的に反駁している。

「『資本主義社会主義』と呼ぶ人もいれば、単に「国家資本主義」や「新官僚資本主義」と呼ぶ人もいる。これらはすべて完全に間違っている。中国の特色ある社会主義が社会主義である。というのは,どのような改革や開放を行おうとも、中国の特色ある社会主義の道、その理論体系、その体制を堅持しなければならないという意味である。」

―「中国の特色ある社会主義の建設に関して」(201315日)

どちらの見解も異なる利益を反映している。ダリオのは外国の資本投資家の利益であり、習近平のは中国共産党政権の利益である。しかし労働運動のはどうであろうか?国際労働者階級の利益から出発して、中国の性格をどう理解すればよいのか?

これは、今日の左翼にとって最も重要でありかつ分裂的な問題の一つである。中国共産党の犯罪に目をつぶり、中国は見習うべき社会主義モデルと考える者がいる。しかし、これは国際的なマルクス主義運動において依然として少数派の見解である。ほとんどの組織は、中国が資本主義的と、あるいは帝国主義的な大国だと主張している。自称トロツキスト政党の中では、国際社会主義オルタナティヴ(International Socialist AlternativeISA)、革命的共産主義インターナショナル(Revolutionary Communist InternationalRCI-旧IMT)、トロツキスト・フラクション(Trotskyist Fraction)、その他多くの諸政党が、こうした見解を主張している。ギリシャの共産党(KKE)のような旧態依然としたスターリニストや、中国以外のほとんどの毛沢東主義者、例えばドイツのマルクス・レーニン主義党(MLPD)やフィリピンのシソン派もまた同様である。

この記事が中心とするのは、こうした傾向に反対することである。我々は、中国が資本主義で帝国主義であると主張する人々は、中国共産党に対し有効な政治的代替案を提示するのではまったくなく、単に米国とその同盟諸国をなだめるだけにすぎないことを示す。その論拠について、彼らは、国家と帝国主義に関するマルクス主義の基本原則を拒絶する。第一に、なぜ中国が帝国主義でないかを述べる。それから、重大な資本主義の浸透にもかかわらず、中国が歪曲された労働者国家の基本的特徴を保持していることを論じる。全体を通して展開される根本的な議論は、労働者階級の利益を前進させるには、米国が支配する世界秩序に反対することから始めなければならないということである。これは、1949年の中国革命の残存する獲得物を防衛するだけでなく、中国共産党のスターリン主義官僚に対する政治革命のために闘うことを必要とする任務である。なぜならスターリン主義官僚の戦略と政策は、中国を大惨事へと導いているからである。

第1部
中国は帝国主義ではない

1)マルクス主義対経験主義

「帝国主義」という用語は、あらゆる文脈のなかであらゆる人々によってまき散らされる。中国が帝国主義であるという主張を客観的に評価するためには、リベラルの喧騒を脇に押しやり、マルクス主義の立場からこの問題にアプローチすることが必要である。難しいのは帝国主義を定義することではない。たいていの人は、次のようなレーニンの見解に同意するだろう。

帝国主義は「独占体と金融資本との支配が成立して、資本の輸出が顕著な重要性を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、最強の資本主義諸国によるいっさいの領土の分割が完了した、そういう発展段階の資本主義である。」(『資本主義の最高の段階としての帝国主義』、1916年)

むしろ、今日どの国が帝国主義であるかを決定するときに論争が起こる。中国やブラジル、そしてギリシャさえも米国と同列に置く人がいる一方で、日本やドイツが大国であることをまったく否定する人もいる。

こうした意見の幅の広さは、綱領の問題であると同時に、方法の問題でもある。帝国主義の問題を、道徳とか抽象的な理想からではなく、その具体的な歴史的展開の中で、すなわち弁証法的唯物論によってアプローチすることが不可欠である。例えば、マルクスによって展開された資本主義体制の分析は、この体制が、以前の封建的秩序の階級闘争から、いかにして異なる生産様式として出現したかに注目している。帝国主義も同様にアプローチされなければならない。つまり、個々の国の立ち位置が全体の一部として適合するように、前世紀の階級闘争を通じて進化してきた生きた体制として。

これは左翼によって用いられる方法ではない。彼らがどのようにこの問題にアプローチしているかの粗野だが代表的な例は、「中国は帝国主義か?」(chinaworker.info2022114日)という見出しが付いたISAの記事に見られる。問題に答えるため、この記事は中国がレーニンの規定の様々な点に対応しているかどうかに注目している。中国には独占企業があるか?金融資本を輸出しているか?大きな軍隊があるか?チェックリストのあらゆる項目にチェックが入れば、中国は帝国主義であると見なされる。

これはマルクス主義ではなく、経験主義である。世界システムの中で中国の発展を見る代わりに、ISAは、経験的な証拠(軍隊の規模、輸出される資本額など)を抽象的な規範(レーニンの規定)と単に比較するだけで、中国の性格を判断する。生物学に置き換えれば、これは身体的特徴だけを見て種を分類し、その進化を無視するようなものである。この方法の問題点は、ほとんど全く主観的であり、量から質への移行を決定する上で、どの一連の特徴が決定的であるかを客観的に決める方法がないことである。このアプローチでは、ある国が帝国主義であると「証明」するために一連の事実を選択することができると同時に、異なる事実の選択が正反対を証明することができる。

どの国が帝国主義クラブにいるのかをめぐるそうした無意味な屁理屈の論争を断ち切るためには、帝国主義が歴史的に具体的にどのように発展してきたかを見ることにより、問題全体にアプローチすることが必要である。そして、このシステムにおける中国の具体的な位置を決定するために、世界システム全体の中で中国自身の進化を位置づけることが必要である。このようにしてのみ、この問題に対するマルクス主義の答えを得ることができる。

2)米国の世界秩序と中国

現代の帝国主義体制の分析の出発点は、1945年でなければならない。人類最大の殺戮から、米国が支配的な帝国主義強国として出現した。現在の世界秩序の重要な支柱は、そうした背景で確立された。世界の準備通貨としての米ドル、国連、国際通貨基金(IMF)、NATO、欧州石炭鉄鋼共同体(欧州連合EUの前身)はすべて、ソ連に対抗し、米国に法外な特権を与えるために策定された。ブリテン、フランス、ドイツ、日本などの他の資本主義諸大国は、米国に従う以外になかった。旧植民地帝国は、世界政治において、急速に独立した役割を終えた。そしてその地位や特権は代わりに米国との諸関係に依存するようになった。

中国については、1世紀にわたる帝国主義の略奪により、この国を新植民地の地位におとしめた。国連での安全保障理事会の常任理事国としてのその地位は、単に中国が日本に対する米国の同盟国であることを反映するにすぎなかった。しかしながら、1949年に毛沢東の農民軍が蒋介石の民族主義政権を打ち破り、この関係は根本的に変化した。その結果、中国のブルジョアジーは台湾へと逃亡し、中国が帝国主義のくびきから解放され、労働者国家が樹立された。中国革命は米国にとって屈辱的な打撃であり、冷戦の激化を直接にもたらした。共産主義の拡大を阻止し、「もうひとつの中国」を避けるため、アメリカはマッカーシズムによる赤狩りを開始し、朝鮮半島そして後にベトナムに軍事介入した。この時期、米国と中国は、共産主義、植民地闘争、ソ連をめぐる対立によって規定された世界秩序の正反対の立場に立っていた。

1972年、ニクソンと毛沢東がソ連に対する協定を締結すると、この状況は再び急激に変化した。米国がベトナムで敗北しつつあるなかで、米国は、ソ連と中国の間に現れた対立を利用することで、自国の立場を強化しようとした。米中関係は、鄧小平が毛沢東の後を引き継ぎ、経済自由化の「改革開放」路線に取り組むと、さらに改善した。とは言え、二国間の関係は非常に特異な性格を持っていた。両国はソ連を掘り崩すために協力したが、その社会体制は依然として根本的に対立したままだった。

1991年、ソ連の崩壊は、世界情勢において劇的な転換点となり、中国と西側諸国との間の関係に新たな時代の到来を告げた。ソ連の崩壊とともに、米国は競争相手のいない世界の大国となった。アメリカの支配と中国市場の開放は、グローバリゼーションとして知られる外国投資と貿易の大規模な拡大の諸条件を創り出した。中国は世界の産業の中心地となり、そこでは外国企業が安い労働力、国家計画、中国共産党が保証する労働平和を当てにできた。

米国の立場からすれば、中国での市場自由化は極めて大きな好機を意味した。さらに、リベラル・デモクラシーが「冷戦に勝利」したのだから、中国の共産主義はもはや脅威ではなく、単に西側との経済統合を通じて克服されるだろう過去の遺物と見なされた。この感情は、米国大統領ビル・クリントンによってはっきりと示された。彼は、「WTO[世界貿易機関]に加盟することにより、中国は単により多くの我々の製品を輸入することに同意しているのではない。中国は民主主義が最も大切にしている価値観のひとつ、つまり経済的自由を輸入することに同意している…。そして、諸個人が自らの夢を実現する力を持てば、彼らはより大きな発言権を要求するだろう」と思った(200039日)。

中国共産党の立場からすれば、新しい時代は危険をはらんでいた。ソ連の崩壊は、党がこの国の政治的支配を緩めればどうなるかという警告であった。同時に、1989年の天安門蜂起は、大衆が落ち着きを失い、いら立ち始め、より良い条件を要求するのを示していた。手詰まり状態は、1992年の鄧小平の「南巡講話」によって打開された。それは、市場自由化という鄧小平の意図の背後で党を確固としたものとして結集するというキャンペーンであった。この考えは、十分な経済成長が政治的不満を和らげ、政権の力を強化するというものであった。

これは成功だった。米国の期待に反して、中国の経済統合は中国共産党の没落にも国家独占の崩壊にもつながらなかった。1990年代と2000年代には、中国共産党と外国資本家の利害が重なったことで、体制に対する全体的な圧力が軽減し、経済の国家管理と資本移動の自由化や貿易の拡大が結び付くことにより、中国が途方もないスピードで発展することが可能になった。

このダイナミズムを理解することが不可欠である。中国の爆発的な成長は、米国の経済システムへの統合を通じて起こったのであって、それに対抗して起こったのではない。中国の対外政策は、すべてのスターリン主義政権の政策と同様に、帝国主義との平和共存を成し遂げる目的により絶えず突き動かされてきた。事実、中国は今日に至るまで、米国支配の基本的な支柱のいずれにも何ら挑戦していない。中国はWTOに加盟し、IMFと国連を支持し、依然として圧倒的に米ドルで貿易と投資を行っている。決定的なのは、中国が、世界の軍事的執行者として、米国に取って代わることを何もしてこなかったということである。

3)米国覇権の衰退

今日の世界情勢の中心にある矛盾は、米国の覇権が中国や他のグローバル・サウス諸国を大いに成長させる諸条件を創り出した一方で、このことが今度は米国の立場を弱めている。米国の支配階級はこのことを理解しており、自身のリベラルな民主主義的世界システムの主要な支柱を益々掘り崩している。ドナルド・トランプはこの変遷を象徴している。2015年に彼の最初の大統領選に立候補するに当たり次のように述べた。

「今、こう考えなさい。我々は中国に1兆3000億ドルの負債がある。日本にはそれ以上の負債がある。彼らがやってきて、我々の仕事を奪い、我々のお金を奪い、そして我々にお金を貸し付け、我々は彼らに利子を支払う。それからドルは上がるので、彼らの取引をずっとよくする。

「我々の指導者たちは何と愚かな人か?こんなことを許す政治家たちは何て愚かな人々だ?彼らはなんて愚かな人々か?」

リベラルな秩序が米国自身の障害になりつつあるのを象徴するように、ワシントンはイスラエルを調査する国際刑事裁判所を制裁すると脅し、国連に資金援助を止めるのを検討し、時にはNATOやEUに反対する発言さえする。中国共産党はいまだ、グローバリゼーションが歴史の不変の力であり、中国が米国により確立されたルールの中で発展し続けることが可能だと信じている。我々は今、中国が自由貿易と国際法を説教する一方で、米国とEUが保護主義を唱え、自身の国際ルールを無視するという奇妙な状況に出くわしている。

全体的に見て、現在の時期は、第一次世界大戦に至る古典的な帝国主義間対立の時代とは非常に異なっている。当時、フランス、ブリテン、ロシアの既成の帝国は、自身の植民地帝国を積極的に拡大しつつある新たな帝国主義諸国(ドイツ、日本、米国)と対峙していた。1900年代初頭、帝国主義体制には亀裂が入り、ばらばらになり、新らしいがすでに確立された諸帝国の膨張主義的欲望から不安定性が生じた。

1945年以降、帝国主義体制は統一されてきた。今日、米国が支配する高度に統合された帝国主義カルテルは、さまざまな地域諸大国の出現により、ますます衰退しつつある。こうした国々は、過去数十年にわたり米国とその同盟諸国に包囲されてきたが、現在ではその地域的・国内的利益を尊重するよう要求している。世界システムの安定が揺るぎない米国の支配に依存しているため、こうした比較的控えめな野心は、存在に関わる脅威であり、現代の混乱の背後にあるものである。

中国の発展をソビエト崩壊後の帝国主義体制の中で位置づけると、中国が拡張的な帝国主義路線を決してとっていないことは明らかである。少なくともアメリカの経済秩序から離脱することが必要だろう。実際、見たところ、中国の経済の重要性がソ連をはるかに上回っているにもかかわらず、圧倒的に現状維持に重点を置いた控えめな外交政策を追求してきた。しかし、よりかなり対立的な戦略をとってきたロシアに目を向けてみても、ロシアが、積極的な拡大はしておらず、むしろ周辺地域や同盟諸国(グルジア、ウクライナ、シリア)に対する米国の策略に反応しているのがわかる。ロシアは米国に挑戦しているが、しかし世界の指導者の地位を握るために争ってはいない。要するに、世界政治はゼロサムゲームなのである。新たな帝国主義ブロックの出現は、1945年以来世界を支配してきた帝国主義同盟に大きな敗北を与えるか、それを解体することなしにはありえない。

4)平和的な帝国主義?

中国が帝国主義であると主張する人々が犯す最初の間違いは、まったく平和的な手段によって、新たな帝国主義の世界大国が現れうると仮定することである。古代のローマ帝国であれ、レーニンによって記述された現代の帝国主義体制であれ、帝国主義には軍事的支配力が必要である。軍国主義が経済的諸関係の産物であるという事実は、決してそれが任意の特徴をなすという意味にはならない。搾取は、力によってのみ押しつけられるものである。

軍事力の決定的な重要性は、過去30年間、圧倒的な米国の軍事的支配によって幾分覆い隠されてきた。競争相手のないアメリカの力は、高度に統一された世界経済のための諸条件を創り出した。この世界経済は、平和的手段を通じて、一見して機能するように思える。サウジアラビアやドイツ、インドの億万長者たちは、彼らの財産が差し押さえられたり、融資が取り消されたりする心配をすることなく、海外に資金を投じることができる。こうしたことは、米軍が現代の帝国主義体制全体の執行者として、役割を果たしているからである。米国は、世界中の資本家たちに私有財産権を保証するという奉仕と引き換えに、米ドルと世界金融資本の主要な中心地や機関の支配を通じて、剰余価値の不釣り合いな分け前を引き出している。

今日に至るまで、世界経済の安定は米軍に依存していることを理解することは、極めて重要である。米軍は80カ国に少なくとも750カ所の基地を置いている。米国とその同盟諸国は、パナマ運河、スエズ運河、マラッカ海峡、ジブラルタル海峡、ホルムズ海峡など、重要な海上交通の要衝をすべて支配している。中国の海洋力は増大しているが、しかし太平洋は、ちょうど大西洋やインド洋、地中海と同様に、依然としてアメリカの湖であることに変わりはない。1945年以来、米軍は200以上の紛争に介入してきた。個別的に見れば、これらの介入の多くは、経済的にも戦略的にもほとんど意味をなさないように思える。こうした介入は、国際システム全体の平和を維持するのにつながるアメリカの力の誇示と見なされなければならない。

すでに述べたように、中国の経済発展が、完全に米帝国主義体制の重要な諸機関の中で起こってきた。たとえ中国が資本主義であったとしても、帝国主義になるためには、アメリカの体制と決別し、自身の軍事力と諸機関を通じて、世界中の経済的利益を確保しなければならないのである。世界情勢を一見しただけで、中国がこの方向に本格的な一歩を踏み出していないことは明らかである。実際、中国は、過去40年間、海外に介入していない唯一の重要な軍事大国である(国連平和維持軍はそのうちに入らない)。

今日に至るまで、中国が海外で投資や融資を行うときには、自身の軍事力ではなく、何よりもまず米国の諸機関に依存し続けている。こうした本質的な特質を抜きにして、中国が帝国主義大国だと見なすことはできない。これに反する主張は、帝国主義を平和主義の色合いで塗りつぶすことになる。それは、世界中の国々が純粋に商業的根拠で超搾取されていることを受け入れ、世界はすでに完全に平和的な方法で諸大国間で再分割されていることを意味するだろう。

ドイツや日本のような国々はどうだろうか?そうした国々もまた米軍に依存している。このことはそれらが帝国主義ではないということか?いや、そうではない。ドイツも日本も、破滅的結果を伴って、覇権を目指し米国に挑戦しようとした。そして敗北以来、両国は、アメリカのシステムの中で、パートナーとなってきた―ドイツと日本は、米国との同盟の結果として、世界経済の中で特権的位置を占めている。中国は違う。過去数十年の深い経済的統合にもかかわらず、いつも部外者であった。

5)中国はどの国を抑圧しているのか?

外国に対する抑圧なしに帝国主義はあり得ないことは明らかである。そこで次のような疑問が生じる。中国はどの国を抑圧しているのか?中国の政治体制が自国民を抑圧しているということは疑いようがない。さらに中国が自国内の少数民族を抑圧していることも明らかである。しかし、これだけで帝国主義だと見なすのなら、イラクやスリランカがぴったりと当てはまるだろう。ほとんどの国々はその国境内で少数民族を抑圧している。そしてどの国も国民にとって不利益になるように支配されている。それはこうした国々を帝国主義にしない。

ISAやその仲間は、「だが一帯一路についてはどうなのか」と金切り声を上げる。「それは搾取的な帝国主義の事業ではないのか?」中国がアフリカやアジアの国々に(米ドルで)何十億も投資し、インフラを構築し、負債を課しているのは本当である。さらに、中国が、労働者の利益から出発して、こうした投資を行っていないことも疑いない。そして、労働組合の権利を攻撃し、役人を腐敗させ、現地の感情を無視し、あらゆる種類の反動政権を支持してきた。しかしながら、問題は、中国の行動が善意のあるものかどうかではなく、一帯一路のような事業が中国を帝国主義の大支配者に変えたかどうかである。つまり、中国は、相当な投資を行った国々に対し、その意志を押し付けるために武力を使っているか?

中国による「債務トラップ外交」の申し子であるスリランカを見てみよう。スリランカは、よく知られているように、新しい港を建設するために生じた中国の借金の利子を支払うことができず、その港を99年間中国に貸した。しかし、中国がスリランカを支配しているのか?いやちがう。2022年にスリランカが(米ドル建てで)外国の債権者に支払えなくなったとき、条件を指示するため突然襲ったのは中国ではなかった。いつものように、それはIMFであり、債権者との決定的な交渉は北京ではなくワシントンで行われた。西側の観測筋でさえ、スリランカの債務危機は中国の融資によるものではないと認めざるを得なかった。

パキスタンはどうだろうか?2017年、革命的共産主義国際テンデンシー(RCIT)は、「中国・パキスタン経済回廊はパキスタンの植民地化のための中国帝国主義の事業である!」と公言する声明を発表した。ISAの場合は、パキスタンが中国の対米帝国主義ブロックの一部だと主張している(「『中国の台頭』—時代遅れの見方」、chinaworker.info424M日)。パキスタンに関する最も基本的な知識がある人はだれでも、これが全くばかげたことだと知っている。中国がパキスタンと緊密な関係にある一方で、米国は采配を振るっている。このことは、つい2022年に、米国がパキスタンの軍事エリートと共謀して、イムラン・カーン大統領を罷免し投獄したときに、極めてはっきりと示された。それに対して、中国は何もしなかったのである。

「中国帝国主義」という主張は、それがアフリカに関する場合、恐らく最も奇怪である。欧米列強は何世紀にもわたってアフリカを抑圧し、アフリカ大陸を極貧と衝突の状態にしてきた。アフリカ大陸が覆われているのは中国の前哨基地ではなく、フランスとアメリカの軍事基地である(その唯一の在外基地はジプチにある)。12カ国以上のアフリカ諸国の外貨準備の半分を保有し、その国々の通貨を支配しているのはフランスである。そして、どこでもそうであるように、債務危機は、人民元ではなく、ドルやユーロでの支払いをめぐって起こっている。

繰り返すが、中国がアフリカで善意ある役割を果たしていると言っているのではない。決してそんなことはない。重要なのは、単に、中国がアフリカのどの国にも、強制によって自国の意思を押し付けているのではないということである。リビア、ソマリア、マリ、ニジェール、チャド、そしてその他多くの国々を荒廃させたのは中国ではない。これらの場合すべてにおいて、欧米の帝国主義者が責任を負っているのである。

ここで南中国海と東中国海に話を移そう。中国は太平洋を中国の湖に変えたいと望んでいるか?我々はそう思わない。しかし、仮にそうだとしても、中国が帝国主義だとは言えない。具体的に説明する必要がある。つまり現状では状況はどうなっているのか?第二次世界大戦で日本が敗北して以来、米国は太平洋の支配者となってきた。中国がアメリカの同盟諸国に完全に囲まれているのを理解するには、ただ地図を見る必要がある。そのほとんどが米軍の駐留を歓迎している。フィリピン、南朝鮮、インドネシア、台湾など、どの国も中国に抑圧されておらず、全てアメリカによって支配されている。

これは平和的で緩やかなプロセスではなかった。それは、東京大空襲、広島と長崎の大虐殺、朝鮮戦争、インドネシアの共産党員の大量殺りく、その他数え切れない犯罪の中で確立されたのだ。欧米帝国主義の擁護者たちは、この地域での中国による軍備増強に金切り声を上げている。しかし、中国はどの国を侵略したのだろうか?太平洋において中国帝国主義を叫ぶことは、米国支配という現状への完全な屈服に過ぎないことを理解するには、ただ事実を客観的に見る必要がある。

台湾に関しては、その状況は極めて特有である。歴史的には台湾は中国の一部だった。1949年の革命後、台湾は中国の資本家階級の避難所となった。それ以来、台湾は、中国を再び帝国主義の支配下に置くための橋頭堡として、アメリカによって意識的に構築されてきた。今日、島のほとんどの人々が中国との再統一を望んでいないのは事実である。それは主に、中国共産党が台湾で抑圧と資本主義の維持しか提案していないからである。しかし、台湾をめぐる対立が、米国と日本によるアジアの帝国主義支配に関するものであるという事実を変えはしない。こうした支配のためにこそ、台湾が大陸から分離しているのである。台湾をめぐる戦争は、1949年革命を終わらせる戦争になるだろう。それは中国による帝国的な征服戦争ではない。

6)政治的意味合い

中国とロシアの帝国主義をめぐる大騒ぎは、米国の指導下にある諸大国の小グループこそ、地球全体を抑圧しているという事実を覆い隠すのに役立つだけである。中国もロシアも、その直接の国境とか周辺を越えた国々を抑圧するのに、いかなる重要な役割も演じていない。両国とも、実際、何十年もの間、西側帝国主義に包囲されてきた。

東アジアや東ヨーロッパにおける革命戦略とプロレタリアートを団結させる出発点は、この地域からの米帝国主義の放逐でなければならない。これは、中国共産党やクレムリンを支持することが必要だということだろうか?もちろんそうではない。彼らの反動的な政治は、至る所で帝国主義に対する戦いを掘り崩している。例えば、ロシア政府と中国政府によるウクライナ人とウイグル人の抑圧は、米国とその同盟諸国に対する労働者の団結を妨げている。彼らの民族的諸権利を認めることは、東アジア、東ヨーロッパ、そして世界を抑圧している諸大国に対する戦いを強化するだろう。

しかし、米国に対する戦争でのロシアや中国の勝利は、彼らが世界帝国主義体制の先頭にその位置を占めることを意味しないだろうか?すべては、この勝利が達成される具体的な状況次第である。共産主義者の任務は、正に、米国秩序の崩壊が、労働者階級に有利な革命的な国際主義の諸条件を確保するために戦うことである。この闘争を形成するために、あらゆる段階で積極的に参加することが必要である。明日には別の大国が新たな抑圧者になるかもしれないのを恐れて、今日の世界を抑圧する大国である米国を打ち負かすために闘わないのは、最悪の犯罪である。

根本的に、「中国の帝国主義」を非難することは、米国とその同盟諸国の支配に反対するのを拒絶するための見え透いた口実である。左翼の間のこうした立場の影響力の強さは、西側諸国において、帝国主義に対して中国を擁護しながら、労働組合官僚とかリベラル界によって立派だと見なされるのは不可能だという現実を反映している。ある人々には米国と中国を同等に扱うのは急進的に思われるかもしれない一方で、事実は、米国が、1945年以来、帝国主義体制全体を支配しているのに対し、中国は自国国境の外の世界のいかなる地域も支配していないということである。もちろん、中国共産党の政策を擁護しながら革命家であることはできない。しかし、「中国帝国主義」という化け物を持ち出すことで、米国の支配に対する戦いを拒否するのは、粗雑な社会排外主義である。

第2部
中国は資本主義ではない

1)マルクス主義と国家

中国国家が資本主義国家であるか、依然として労働者国家のままであるかどうかを議論するなかで、基本的な方法論的アプローチを確立することは重要である。帝国主義の場合と同様に、左翼の多くは、問題が始まるところで、その取り組みを終えている。「中国が資本主義だ」と主張する陣営にとっては、億万長者や多国籍企業の数を指摘するだけで、問題を解決する。正反対の見解にとっては、戦略的産業の国家管理と高い経済成長は、中国が資本主義でないのを証明するのに十分であると見なされる。繰り返しになるが、この問題は、個々の断片を見ることでは理解できず、具体的な歴史的展開の中で見なければならない。

資本家が広範に存在していることと国有化された産業の高水準は、いずれも中国を理解する鍵ではあるが、しかしそれだけでは何の証明にもならない。トロツキーが「ソビエト国家の階級的性格」(1933年10月)で指摘したように、ボリシェビキはロシア革命の最初の年に産業を国有化しなかった。労働者管理の下で民間の手にとどまった。1921年、ボリシェビキは、新経済政策を通じて農業に市場諸関係を再度導入した。けれどもこれは、資本主義に戻ることを意味しなかった。さらに、資本家階級自身、ある危機(例えば、1970年代のポルトガル)に対応して、幅広い産業を国有化することができる。こうした例は、ある国の階級的性格を決定するには財産形態が単独の要因として不十分だということを示しているにすぎない。

マルクス主義者にとって、問題の核心は国家そのもの、すなわち軍隊と官僚機構である。彼らはどの階級の独裁を防衛しているのか?国家が取りうる政治形態(民主主義、ボナパルティスト、ファシストなど)に大きなばらつきがあり得るにもかかわらず、国家は常に明確な階級の支配を代表している。レーニンは、エンゲルスの言葉を要約するなかで、次のように説明した。

「国家は、階級対立の非和解性の産物であり、その現れである。国家は階級対立が客観的に和解させることができないところに、またそのときに、その限りで、発生する。逆にまた、国家の存在は、階級対立が和解できないものであることを証明している。」

―「国家と革命」(1917年)

レーニンは、「小ブルジョア民主主義者」が、「国家は、自分の対立者(自分に対立する階級)と和解できない一定の階級の支配の機関である」ことを決して理解しないと主張した。そして今日に至るもそうである。中国の階級的性格と中華人民共和国の将来の展望についてのあらゆる間違いは、レーニンより要約された国家のこの基本概念を否定することに基づいているのである。

この問題に関する修正主義は、中国共産党自身から始まっている。「新民主主義論」(1940年)で要約された毛沢東自身の概念は、中国の「革命的階級の連合独裁」である。この連合独裁は民族主義ブルジョアジーを含むはずであった。これは全くの幻想であることが判明した。毛沢東の人民解放軍が国民党の民族主義勢力を打ち破ったとき、「連合独裁」など存在しなかった。ブルジョアジーは圧倒的多数で台湾に逃亡し、そうしなかった者は収奪された。中華人民共和国はプロレタリア独裁であり、それは、その対極のものと調停され得ず、それこそマルクス主義理論の明確な確証である。しかしながら、この同じ「連合独裁」という幻想が鄧小平の「改革開放」の背後にあり、中国共産党によっていまだ支持されている。鄧小平から習近平に至るまで、「中国の特色ある社会主義」は、ブルジョアジーと社会主義の間に根本的な対立は存在しないという神話に基づいている。こうした幻想は、中華人民共和国にとって致命的な脅威なのである。

中国が資本主義だと主張するさまざまな社会主義者も、方法が違うが、同じ誤りを犯している。彼らは、中国共産党のように資本主義と社会主義が共存できると断定するのではなく、中国が、1949年以降、労働者国家から、1990年代に資本主義国家へと、徐々に途切れなく移行したと主張している。彼らによれば、この移行は、中華人民共和国の国家構造が引き裂かれ、新たなものに取って代えられる激しい危機の時期なしに起こった。言い換えれば、彼らは、同じ国家構造、同じ官僚機構、同じ体制が、二つの相対立する階級の独裁を防衛することができると考えている。これは、国家の存在そのものが具現化する非和解的階級対立をもみ消す別の方法にすぎない。トロツキーは、1930年代のソ連に関連して、正にこうした議論に答えて、次のように説明した。

「権力が一つの階級の手から他の階級の手へ移行することは破局的な性格をともなうものだというマルクス主義のテーゼは、歴史が狂気のように前進する革命的時期のみでなく、社会が後退させられる反革命の時期にもまたあてはまるものである。ソヴィエト政府がプロレタリア的なものからブルジョア的なものへと漸次的に変わったと主張するものは、云わば改良主義のフィルムを逆に廻しているにすぎない。」

―「ソヴィエト国家の階級的性格」

確かに重要な要素ではあるが、中国の階級的性格を立証するために市場諸関係や計画経済が普及している程度は鍵になる基準ではない。むしろ、国家機構の性格と機能に質的な変化があったかどうかである。中国が資本主義国家であると信じる人々は、トロツキーが間違っており、国家がその階級的性格を徐々に変化させることは実際に可能であると主張するか、あるいは中国の反革命がいつどのようにして起こったのかを説明しなければならない。

2)東ヨーロッパとソ連における反革命

1930年代のトロツキーの理論的議論と今日との重要な違いは、我々が一連の明確な反革命の歴史的事例を見てきたことである。ヨーロッパのかつての労働者諸国家とソ連で資本主義が復活したという事実をめぐって、実質的に何ら論争はない。その過程は、ポーランド、東ドイツ、ユーゴスラビア、そしてソ連自体で異なっていたが、しかしこれらの事例の一つ一つ全てが、「権力が一つの階級の手から他の階級の手へ移行することは破局的な性格をともなう」ことを完全に裏付けている。

あらゆる事例でどのように反革命が勝利したかの詳細な歴史に立ち入ることなく、すべてに共通するいくつかの本質的な諸特徴を見分けることは可能である。いずれの場合も、重大な政治的危機がスターリニスト体制の崩壊を引き起こした。ある国々では、かつてのスターリニストが、資本主義の下で、有力なあるいは指導的でさえある地位を保持することができたが、以前の共産党は決して権力にとどまらなかった。さらに、いかなる場合でも、国家構造は徹底的に再編された。ユーゴスラビア、チェコスロバキア、東ドイツ、ソ連では、国家は破壊されたり清算されたりした。しかし、そうでない場合でも、国家はその軍隊を再編し、その名称、憲法、法体系を変更したのである。

ヨーロッパにはもはや赤軍も人民軍も存在しない。国々の国旗にはもはや槌や鎌が存在しないし、社会主義共和国も人民共和国も存在しない。そうした名前やシンボルには意味がないと主張する人がいるかもしれない。しかし、それは間違っている。征服した軍として、資本主義はその国旗、シンボル、価値観、言語を持ち込んだ。こうした諸変化は、国家権力の決定的な断裂を表している。それらは、スターリン主義に対して資本主義の決定的な勝利を示したのである。

問題の経済的側面を見てみよう。反革命に至るまで、東欧圏の多くの国々は、長年にわたって経済を自由化する措置を講じてきた。しかしながら、資本主義への復帰は緩やかな経済的移行ではなく、破滅的なショックという形でもたらされた。古い経済モデルは突然崩壊し、ほとんどの場合国際通貨基金の指図の下で、新しいモデルが導入された。その直接の結果は、産業の空洞化、大量の失業、インフレ、そして不況であった。

1998年の世界銀行の調査「計画経済から市場経済への移行期における所得、不平等、貧困」によると、資本主義に移行した国々で生産された物品とサービスの総額は、実質ベースで少なくとも4分の1減少した。ほとんどの場合、国営企業は格安で清算された。ベラルーシは規則を証明している例外である。国営企業は清算されなかったが、経済ショックは、一人当たりのGDP34%も収縮して、同じように残酷なものだった。

資本主義復活の社会的影響は劇的なものだった。ほとんどの国々で平均寿命が縮んだ。ロシアでは、どの先進工業国の平時の死亡率を上回る死亡率の上昇を経験した。ユーゴスラビアは内戦で分裂した。貧困が旧共産主義諸国全体に爆発的に増大した。こうした国々(戦争中を除く)に関する世界銀行の調査は次のように述べている。「1989年当時、14ドル以下(国際価格)で暮らす人々の数は、(約36,000万人の人口のうち)1,400万人と推定されていたが、現在では1億4,000万人以上が、同じ貧困ライン以下で生活していると推定されている」。

結論は明らかである。どこでも反革命は残酷な過程であった。政治的、経済的、社会的レベルにかかわらず、労働者国家から資本主義への移行は激変であり、過去との明確な断絶を意味した。

3)中国における改革開放

東ヨーロッパやソ連での反革命は、中国の「改革開放」と比較してどうだろうか?例えば民営化の数や市場諸関係の拡散といった個別の要因だけに注目すれば、類似点を指摘することは可能である。しかし、一歩離れ問題の全体像を見れば、両者に何ら共通点がないことは明らかである。

政治的レベルでは、違いは最も明白である。中国では、80年代の終わりに、ヨーロッパや中央アジアの非資本主義諸国を震撼させた政治的混乱なしで済まされなかった。しかしながら、この混乱の結果はまさしく正反対であった。1989年の天安門での抗議行動に端を発した学生や労働者の広範な蜂起は、中国共産党体制を危機へと陥れた。しかし、東ドイツ、ポーランド、ソ連のスターリニスト官僚機構とは異なり、中国共産党は崩壊せず、流血の弾圧の波で運動を鎮圧した。その結果、中国共産党は政治権力の掌握を強化した。天安門事件の結果は、政治的な継続であり、断絶ではなかった。

今日、すべての主要な国家機関は、その機能も外観も根本的に変わっていない。中国は依然として共産党に支配されている。軍隊は毛沢東の農民軍に由来する人民解放軍のままである。人民共和国は依然として存在し、国家の最高機関は依然として(形式的には)全国人民代表大会であり、最も権威あるポストは依然として共産党書記長である。こうした事実に異論を唱える者はいない。中国が資本主義だと考える人々にとっては、そうしたことは重要でないと見なされているだけである。

経済的や社会的領域についてはどうだろうか?トロツキーは、ソ連における官僚支配の継続がプロレタリア独裁政権の崩壊につながり、「経済的、文化的停滞、恐るべき社会的危機、そして社会全体の後退」(「ソビエト国家の階級的性格」)と予測した。我々はすでに、これこそどう東ヨーロッパとソ連で正に起こったかを見てきた。中国では、しかしながら、まったく逆である。1990年代には、歴史上最も驚異的な生産力の発展、貧困の無類の減少、社会経済指標での全般的な改善が見られた。

このことは、中国での市場自由化が労働者階級の利益に従って行われたというわけではない。新しい資本主義企業や外資系ベンチャー企業でのひどい労働諸条件に加えて、民営化や市場改革によって労働者階級の膨大な層がひどく苦しんだ。しかし、全体として見れば、中国経済は、反革命が起こった国々が体験した同じ破壊的な衝撃を単に経験しなかったのである。改革のプロセスは劇的な結果をもたらしたが、社会の全構造を維持するやり方で徐々に行われた。

実際、「改革開放」の目的は、資本主義を復活させることではなく、中国共産党が他のスターリニスト諸体制と同じ運命を回避する経済的諸条件を創り出すことだった。官僚自身がこうした移行をどのように表現したかを理解するために、多くの人が資本主義復活の転換点と見なす1992年の南方視察の際に鄧小平が述べたことを引用するのは価値がある。

「経済特区の建設については、当初から反対する人もいた。彼らは、それが資本主義を導入することにならないかと疑っていた。深圳の建設における諸成果は、こうした人々に明確な答えを与えている。つまり経済特区は、社会主義であって、資本主義ではない。深圳の場合、公有部門が経済の主力であり、一方で外資系部門は4分の1を占めるにすぎない…。この外資系部門を恐れる理由はない。我々が分別を保っている限り、心配することはない。我々には利点がある。大中規模の国有企業や農村部の企業がある。さらに重要なのは、政治権力が我々の手中にあるということである。」

―「武昌、深圳、珠海、上海で行われた講話の抜粋」(1992118日〜221日)

要点は、鄧小平が社会主義についてどの程度誠実だったかではない。むしろ、こうした言葉は、継続への明確な願望を示しているから重要なのである。これは、新しい社会体制の構築を決意したボリス・エリツィンの言葉ではなく、右派のスターリニスト改革論者(例えばブハーリンやゴルバチョフなど)の言葉である。

しかし、中国の不平等についてはどうであろうか?ちょうどロシアや他の以前、労働者国家だった国々のように、不平等が爆発的に増えたのではないだろうか?不平等は実際巨大であり、このことは中国共産党の政策の反動的性格を示している。しかしながら、毛沢東下で飢えに苦しむ数百万もの人々を見れば、こうしたことは今に始まったことではないのがわかる。この場合でも、単純な統計よりも深く見ることが重要である。

ロシアでは、社会全体の衰退という状況下で、不平等が爆発的に増え、億万長者が出現した。中国では、こうした過程は社会全体の進歩の中で起こった。前者は、外国資本と新興財閥によって略奪される腐敗した社会である。もう一方には、急速に発展する社会で不均衡な分け前を奪う資本家と官僚がいる。どちらの場合も、ジニ係数は上昇するが、しかしこれは根本的に異なる社会的な過程で起こっている。一方では反革命を通じて、他方では経済の国家統制と外国資本の融合に基づく高成長を通じて起こっている。

4)改良主義のフィルムを逆に廻す

中国の国家と体制が本質的に依然として変わらないままであるという明白な事実に直面して、中国が資本主義だと主張する様々な提唱者は、この問題を無視するか、理論的に釈明して言い抜けなければならない。少なくともこの問題を解決しようとする2つの例を見てみよう。

ミリタントの伝統

ミリタント・テンデンシーは、社会主義者の議会多数派が資本主義国家の支配権を平和的に掌握することで、社会主義を達成できると主張することで知られていた。その様々な派生組織が、中国は資本主義だという見解の最も声高な擁護者の中にいるのは偶然ではない。

東ヨーロッパでのスターリン主義の崩壊に至るまで、労働者インターナショナル委員会(CWI)は、テッド・グラントの理論に基づき、その改良主義綱領を歪曲された労働者国家へと拡大した。CWI(国際連帯CWI日本支部)の国際執行委員会による1992年の文書は、この時期、「資本主義を確立しようと動く反革命政府が、労働者国家から受け継いだ経済的基盤に基づく特異な混合型の諸国家」の出現を目にしたと主張した。そして「こうした諸条件下では、資本主義国家か労働者国家かという固定した社会的カテゴリーを適用することは、必ずしも可能ではない」と述べた(「スターリン主義の崩壊」)。レーニンの言う「階級対立の非和解性」は消え去り、穴だらけの「混合型の諸国家」が登場した。

この修正主義理論の具体的な結果として、エリツィンがソ連を打倒するため築いたバリケードで、CWIが積極的な役割を果たしたことである。反革命が必須であることを否定するなか、最後には彼らが反革命に参加したのである。結局のところ、1991年以前にロシアがもはや労働者国家でなかったなら、防衛すべきものは何もなかった。ソ連の崩壊という壊滅的な結果は、こうした見解の完全な破綻と、そしてそれが歴史的な裏切りであったことを明確に示している。

この失敗から学ぶことをせずに、CWIとその派生組織は、同じ方法論を今日の中国に拡大してきた。『中国は資本主義か?』(2000年5月)というパンフレットの中で、ISAのローレンス・コーテスは「混合型の国家」という概念を用いて、中国が徐々に資本主義へと移行したと主張している。

「中国は1980年代後半から1991–92年まで混合型の国家だった。以前の体制から新体制への転換は完了していなかった。つまりこれは、2つの進路または展望が可能な時期だった。このことはもはや事実ではない。主な要因は国際的な諸事件、つまりソ連の崩壊とグローバリゼーションの加速であった。とはいえ天安門での運動の鎮圧とそれが意識に及ぼした影響は、決定的な転換点であった。」

すでに見てきたように、天安門事件の結果は政治的な継続であり、断裂ではなかった。国際的な背景は極度に重要である。しかし、国家の性格は、別の国で起こったことのせいで、変わるわけではない。ロシアの内戦の運命は国際的な諸事件によって大きく左右されたが、しかし国家の性格はボルシェビキが権力を奪取したときに変わっていた。コーテスによって消し去られたのは、まさにそうした決定的な転換点である。非和解的な階級的利害を意味する国家ではなく、階級的利害が決定的に衝突することなく、体制と国家構造全体が変わらないまま、ある段階から別の段階へと徐々に移行することが可能な、国家形態のスライディングスケールを見出すことができる。これこそ、単にミリタントの古い議会改良主義を中国に適用したものに他ならない。

革命的共産主義国際テンデンシー

異なる政治的伝統に由来するなかで、革命的共産主義国際テンデンシー(RCIT)は、少なくとも政治権力の問題について考慮している。彼らによれば、資本主義反革命は次の場合に起きる。つまり、「スターリニスト官僚制の労働者政府がブルジョア復活主義政府に取って代えられるか、あるいは」「資本主義生産様式を再確立するのを言動で固く決意している」「復活主義政府へと変貌する」場合である。『キューバ革命は売り渡されたか?』、2013年。

習近平も鄧小平もいかに資本主義の再確立を「固く決意した」ことがないのはすでに見てきた。しかし、より重要なのは、RCITが、「スターリニスト官僚制の労働者政府」が「ブルジョア復活主義政府」へと変貌できると主張していることである。どのようにそれが可能なのか?RCITにとって、歪曲された労働者国家における国家弾圧の諸手段が、実際にはすでにブルジョア的だと信じているからである。彼らは次のように主張する。

「トロツキーは、明確に定式化しなかったが、彼の著作から明らかなように、スターリニスト官僚制に対する労働者階級の革命は、プロレタリア財産諸関係を転覆する資本主義復活よりも、ずっと暴力的であると予想した。その理由は、『ブルジョア官僚の』国家機構(すなわち、警察、常備軍、官僚機構)がプロレタリアの道具ではなく、労働者階級よりもブルジョアジーにずっと近いプチブルジョア・スターリニスト官僚機構の道具だからである。」(強調は我々のもの)

スターリニスト官僚がプチブルジョア的性格を持っているのは正しいが、官僚が指揮する国家機構が 「プロレタリアの道具ではない」というのは絶対に間違っている。この修正主義的見解は、労働者国家の定義そのものを拒絶するのに等しい。レーニンは、『国家と革命』の中で、次のように説明している。

「すべての偉大な革命的思想家と同じように、エンゲルスは、世間一般の俗物根性には、なにも注意するにあたらない、もっともありきたりのものと思われているもの、確固不動なばかりでなく、いわば石化した偏見によって神聖視されているもの、ほかならぬこうしたものに自覚した労働者の注意をむけている。常備軍と警察とは、国家権力の暴力行使の主要な道具である。」(強調は我々のもの)

他のあらゆる階級独裁—奴隷制、封建制、資本主義制—と同様に、中国でプロレタリア独裁の「国家権力の暴力行使の主要な道具」は「常備軍と警察」である。官僚主義的に歪曲された労働者国家では、こうした「武装した人間の部隊」は、官僚制により労働者階級の政治的利益に反して行使されるが、しかし依然として労働者国家の機関のままである。

中国において、人民解放軍は、内戦の終結以来、左翼の反対意見を弾圧するために使われてきた。それは1989年に如実に示された。しかしながら、人民解放軍は中国の資本主義国家を破壊し、プロレタリア独裁を確立した。人民解放軍は、プチブルジョアの組織のままだったのか?中華人民共和国はプチブルジョア国家だったのか?いや違う。1949年以来、人民解放軍は内外の反革命に対してプロレタリア権力の重要な機関になってきた。台湾の中国ブルジョアジーが大陸に越境することが決してできなかったのは、人民解放軍のおかげである。

トロツキーが説明したように、歪曲された労働者国家における官僚と国家の関係は、親資本主義の官僚と労働組合の関係に似ている。たとえ前者が一般組合員の不満を抑え込むために組合の機構を利用することができ、「労働者階級よりもブルジョアジーに近い」としても、組合自体は労働者階級の組織であり続けている。その存在そのものがボスに対抗する防壁である。労働組合の官僚が完全に資本家の矛盾のない代表になるためには、官僚は組合と決別しなければならない。同じように、スターリニスト政府は、革命の国家諸機関との結びつきを断ち切ることを抜きに、「資本主義政府」になることはできない。

まさにこの結びつきこそ、1991年にソ連で断絶されたものである。エリツィンは労働者国家を破壊し、そうするなかで官僚の権力の源泉、つまり支配カーストとしての官僚機構そのものを破壊した。中国では、官僚は意識的にこの道を避け、国家の弾圧諸機関へのしっかりとした統制を維持することで、統一した集団として自らを維持してきた。RCITによる国家「理論」の核心は、この2つの例の質的な違いを消し去ることである。彼らによれば、ある階級独裁体制から別の階級独裁体制へと、スターリン主義官僚制はそのままで、途切れなく移行することができる。なぜなら、警察と軍隊が常にせいぜいプチブルジョアの機関だったからである。これこそ、単にトロツキズムの拒絶というだけでなく、国家の問題に関する基本的なレーニン主義の拒絶でもある。

彼らの理論の論理に従って、RCITは、中国やベトナムが資本主義だと宣言するだけでなく、キューバや北朝鮮のような国々でさえも資本主義だと宣言している!反革命の必要性を消し去ることによって、彼らは、経済と体制が明らかに典型的なスターリニストモデルに基づいている国々でさえ、どこでも資本主義を発見するのである。

5) 誰が中国を支配しているのか?

国家に関する基本的なマルクス主義の原則の再主張が、我々の批判家たちを納得させないのは疑いない。彼らは、そうした理論的な主張が事実と矛盾すると答えるだろう。結局のところ、中国には814人の億万長者がおり、世界最大の資本主義企業の多くがあり、国有企業でさえ市場原理に従って運営されている。

これらは確かに重要な事実だが、しかし正しく解釈するには、そうした事実が、中国の発展を導く歴史的な法則の正しい理解に基づいて位置づけられなければならない。人類は飛行の科学を習得したが、これは重力の法則を無効にはしない。実際、こうした法則を理解することによってのみ、飛行機がどのようにして離陸することができるかを説明することが可能なのである。中国は、資本家が存在する歪曲された労働者国家である。これは非常に矛盾した展開であるが、しかしそれはマルクス主義の国家理論を無効にするものではない。むしろ、マルクス主義の理論によってのみ、経験的な証拠を正しく理解し、誰が実際に中国を支配しているのかという問題にきちんと答えることができるのである。

我々はすでに、中国の階級的性格が徐々に変化していると断定する理論の実際の価値を見てきた。しかし、中国が資本主義であると考える人々の多くは、理論的な問題よりも、経験的事実の印象主義的な解釈に重点を置いている。例えば、RCI(革命的共産主義インターナショナル)は、中国共産党の社会主義の2人の擁護者に対する最近の論争の中で、次のように断言する。

「国家が経済を『支配』していないことは非常に明確である。とはいえ国家は、欧米の競争相手に比べて、ずっと重要な役割を果たしている。しかしここでの核心は、たとえ銀行が『個人株主よりもむしろ政府に対して第一に責任を負う』としても、銀行も政府も共に市場の必要性の指図の前に無力だということである。市場は『社会主義に奉仕』しない。」

―ダニエル・モーリー、「『東アジアはまだ共産主義か?』中国が資本主義だということを認めない人々に答える」(67日)

この立場を支持するために、RCIは、2008年の大金融危機後に中国共産党が取った経済対策が、中国経済の長期的な不均衡を助長したことを指摘する。これは事実だが、中国共産党の政策が間違っていることを示す一方で、中国共産党が市場に支配され、RCIの言葉を借りれば『経済と国有企業の統制を失った』ことを証明するものではない。実際、2008年はまったく正反対のことを示している。「中国共産党」(2011年)の中で、リチャード・マグレガーは次のように説明している。

「党の権力は2008年暮れから2009年初めにかけて示された…。中央銀行も、銀行規制当局も、そして銀行自身さえも全てが、危機への対応策を練るなかで慎重に進むよう勧めた。この三者はいずれも、過去10年間、信頼できる商業銀行システムを構築するため懸命に闘っていた。しかしながら、政治局は、急激な景気後退という奈落の底を見つめながら、大量資金の挿入を高所から布告した。一旦それが行われると、銀行は行動を起こす以外に選択肢がなかった…。2007年の3分の1というピーク時に比べ、[融資の]15%だけが一般消費者や民間企業に向かった。大半の融資は国営企業に向かった。」

この著者は説明を続ける。中国の銀行は資本主義世界の銀行とは完全に異なる方法で行動した。資本主義世界では、この時期、政府が銀行を事実上に統制していたにもかかわらず、政府は銀行に融資を強いる手段を何ら持っていなかった。根本的に、大金融危機では2つの社会体制が異なった反応をしたことを示した。市場が支配する資本主義の世界では、国家は金融システムを破滅から救い、収益性と安定性を確保するために介入した。中国共産党が経済を統制する中国では、国家は体制の安定を確保するために介入した。その過程で、国家は、銀行が10年を費やし確立していた収益性の諸原則に反して行動した。

RCIはこの点を取り上げない。彼らは、2008年以降の投機的バブルの存在に気付き、中国が資本主義であり、中国共産党は「統制を失った」と結論している。しかしこの問題ももっと詳しく見てみよう。中国共産党はこの投機的バブルにどう反応してきたのか?2020年、中国共産党は「つのレッドライン」という規制を導入した。それは特に住宅バブルの崩壊に狙いを定めたものである。この結果、不動産巨大企業の恒大集団は倒産し、不動産業界全体が不況に陥った。中国共産党の行動がもたらした経済的・社会的諸結果は破滅的なものであり、とりわけ支払いを済ませたアパートを決して手に入れることはできない中国市民にとって破滅的なものである。この例は、中国共産党が、典型的なスターリニストのやり方で、極端から極端へとジグザグに行動することを示している。しかし、それは確かに、中国共産党が市場の前で無力であることを示してはいない

この場合でも、こうした行動は中国共産党と米国政府の違いを表している。中国の場合には、国家は、政治的不安定につながりうる急激な危機を避けるために、自ら投機的バブルを破裂させた。米国の場合、政府は、住宅バブルを可能なかぎり長く維持するように何でもした。そして今日、政府は株式市場に向けて同じことをしている。これらはすべて事実である。しかし、それぞれの国家が根本的に異なる法則に従って行動しているのを理解しなければ、それらを正しく捉えることはできない。

中国経済を理解する難しさの一部は、中国共産党が、数十年にわたり、外国からの投資を呼び込み、自国の労働力を規律に従わせるために、市場経済の外見を与えようと懸命に努力してきたことである。中国共産党は、国有企業を部分的に民営化し、そうした企業に「独立した」取締役会を設け、民間資本家に数十億ドル規模の企業を拡大させるなどした。しかし、こうした自由化の背後で、中国共産党は、公営企業に対しても民間企業に対しても強力な支配を続けた。このことを考えると、企業が形式的に私営か公営かどうかにただ注目するのは誤解を与える。核心は、企業がすべて中国共産党の政治的要求に従わなければならないことである。こうした政治的支配は、中央組織部のような機関によって保証されている。この機関は、事実上あらゆる重要なポジションを直接任命する。マクレガーは次のような比較をしている。

「もし米国に類似の部署があれば、次のような人々の任命を監督するだろう。つまり、米国の全閣僚、州知事とその代理、主要都市の市長、すべての連邦規制機関の長、ゼネラルエレクトリックやエクソンモービルやウォルマートや残り約50の米国大企業の最高経営責任者、最高裁判事、『ニューヨーク・タイムズ』や『ウォールストリート・ジャーナル』や『ワシントン・ポスト』の編集者、ネットワークやケーブル局のボス、イェール大学やハーバード大学や他の大きな大学の学長、ブルッキングス研究所やヘリテージ財団といったシンクタンクの長。」

中国共産党による支配は、利益追求によって決定づけられない。実際、それは利益追求の最も基本的なルールと直接衝突する。例えば、2004年、中央組織部は、何の警告もなしに、中国の3大通信会社の幹部の人事異動を決定した。これらの通信会社は互いに競争しており、欧米の株式市場のルールに従うはずであった。競争会社間で幹部を交代させることは、資本主義の競争の最も基本的な法則に矛盾する。それは、あたかも米国政府がザッカーバーグをテスラの責任者に、マスクをメタの責任者にするのを決めたようなものである。中国共産党がこのような策略を実行したのは、価格競争を抑制し、その権威を行使するためであった。どの資本主義国でこの種のことが起こるのだろうか?これは本当に市場が国家に条件を押し付けているか?

中国での資本主義諸関係の広がりを示すために作成されうる全ての統計にもかかわらず、基本的な事実は、資本家階級が国家権力を握ってないということである。中国共産党が支配している。中国における資本主義諸関係の巨大な成長は、過去数十年間に亘って、共産党が資本主義と協力してきた産物である。しかしながら、これは、中国共産党の利益が資本主義のものと同じであるとか、その諸政策が主として資本主義の利益によって導かれているということを意味しない。全く正反対である。共産党官僚は、仲裁者の立場を占め続けている。官僚は資本(外国と国内)と労働者階級の圧力の間のかじ取りをしているのである。そのようなものとして、官僚は、その地位を維持するために、これらの双方に対して国家機構を行使しなければならないのである。

6)ボナパルティズム

中国共産党が中国の資本家に対してどんな強制を行使しようとも、それは他のボナパルティズム政権と変わらないというのが、普通の議論である。2017年、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子は、サウジアラビアの数百人の資本家(ほとんどが親族)を隔離し、彼らから数十億ドルを巻き上げた。2003年には、ロシアのプーチン大統領が、当時ロシアで最も裕福だったライバルのミハイル・ホドルコフスキーを詐欺と横領の罪でシベリアの刑務所に入れるよう手配した。これらの事例は、中国共産党によりたびたび姿を消される資本家や、上記で挙げたいくつかの例とどう違うのか?その違いを理解するには、それぞれの政権と国内の資本家階級との関係を具体的に見ることが必要である。

サウジアラビアは絶対君主制であり、それは、第二次世界大戦以来、中東における反動の砦として自身を維持するために、米国との軍事同盟に依存してきた。サウジアラビアでは、王室は基本的に資本家階級でもある。有名な2017年の事件は、中世を現代に置き換えた王朝の不和だった。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が自身の家族をゆすり取った目的は、主として王朝の要求を主張するためであり、サウジの資本家階級の封建的性質に由来する「通常の」働きだった。ロシアでは、プーチンは、犯罪集団のオリガルヒ間での無秩序で暴力的な抗争という状況下で、権力を握った。プーチン政権のボナパルティスト的性格は、反革命後のロシアにおける緊張を抑えることができる調停者の必要性を反映した。こうした状況の中で、彼は、規則に従わない特定のオリガルヒたちに対して、その権威を主張しなければならなかった。

いずれのこうした実例も、ボナパルティスト的な弾圧措置は、資本主義体制の安定を維持するのに役立った。中国では、政権のボナパルティスト的性格はとても異なっている。1949年以降、中国共産党の権力は、資本家階級を粉砕した労働者国家に対する官僚統制の基で打ち建てられた。革命的な国際主義の綱領に反対する中で、中国共産党は、経済の後進性、労働者階級と農民からの経済的・政治的諸要求、世界帝国主義からの敵対的な圧力の間で、常に圧力をかけられていた。90年代にスターリン主義が全面的に崩壊する中で、風向きが資本家側に向って、中国共産党は、その方向により強力に傾くことを選択した。世界と国内の状況は変わったが、体制そのものは変わらなかった。

中国共産党のボナパルティスト的な性質は、依然として基本的に同じ階級勢力に由来している。サウジアラビアやロシアとは異なり、中国の資本家階級は政権の基盤ではなく、対抗相手である。多くの資本家が中国共産党内にいても、あるいはトップの官僚たちと親戚でいても、このことは真実である。階級の対立は、結婚や肩書によって克服することはできない。それは、フランス貴族がつらい経験を以て思い知らされた教訓である。

政権のボナパルティスト的な性格にもかかわらず、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子もプーチンも習近平も、権力が基礎を置く社会的利益を超越することはできない。サウジアラビア君主制にとっては王朝的、プーチンにとっては寡頭政治的、そして習近平にとっては官僚的である。最初の2人の場合には、支配層の権力は資本家階級に依拠している。資本家の基本的な諸利益を攻撃することは、まさしく体制の本質に反するだろう。このことは中国共産党に当てはまらない。十分な内外からの圧力の下で、中国共産党は資本家階級を収奪することが可能だろう。もちろん、これは大きな混乱を引き起こすだろうし、それは中国共産党が望んでいることではない。しかし、中国共産党は、以前にもそうしたことを行い、1949年以前に毛沢東も資本家を一掃するのを望んでいなかったことを忘れてはならない。

こうした3つの政権の異なる階級的基盤は、資本家が体制に対してどのような行動をとるかを見ればさらによく分かる。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の専制政治にもかかわらず、百万長者や億万長者は、飛んで火に入る夏の虫のようにサウジアラビアに群がってくる。ロシアでは、ウクライナでの戦争の勃発と欧米の制裁は、かなりの富裕層の離脱の原因となった。しかしながら、全体として、オリガルヒは政権の下に結集している。2022年以来、億万長者たちは、少なくとも500億ドルの海外資産をロシアに送金してきた。これは、政権が、欧米の敵意を前にして、信頼に足る支柱であるからである。

中国では正反対のことが見える。資本家たちは欧米諸国よりも体制を恐れている。彼らは機会があれば大挙して移住する。政権がそうした移住を厳しく制限していても、毎年、中国は資本家たちが離れる国々のトップである。ヘンリー・アンド・パートナーズのコンサルタント会社によると、中国を離れる富裕層の数は、パンデミックの終わりから毎年増加しており、2024年にはこれまで15,200人を記録している。クリストファー・マーキスとクニヤン・チャオは、『毛沢東と市場』(2022年)の中で、「中国の起業家の4分の1以上が、金持ちになってから中国を離れ、報告が示唆しているのは残っている起業家の半数近くがそうすることを考えているのである」と主張している。もし中国共産党が基本的に中国の資本家たちの利益を守ることに専心しているとすれば、なぜこうしたことが起こるのだろうか?他の独裁諸国家の資本家たちは、なぜこのように自国の政府を恐れないか?

7)財産権

中国を資本主義だと見なす「トロツキストたち」が使う究極の議論は、官僚が自身を資本主義階級に転化したというものである。『裏切られた革命』(1936年)からの引用を引き出すなかで、彼らはトロツキーの次のような記述を勝ち誇って指摘する。

「特権は遺産として子どもに残せないとすれば半分の価値しかない。しかし遺言の権利は所有の権利と不可分である。トラストの長であるだけでは不充分で、株主となる必要がある。この決定的な分野での官僚の勝利は官僚が新しい有産階級へと転化することを意味するであろう。」

中国共産党の役人やその親族が株を所有しているのだから、我々の批評家たちは、官僚が資本家階級に転化したと結論付けている。これは表面的には正しいように見えるかもしれないが、これらの財産権の実際の意義はそれほど単純ではない。

改正された中華人民共和国憲法は、「公民の合法的私有財産は侵されない」と述べ、「国家は、法律の規定にもとづき公民の私有財産の所有権および相続権を保護する」と述べている。しかしながら、これで事が終わったわけではない。トロツキーは、1936年1月1日付の手紙で、「現実の財産形態と仮想の財産形態、すなわち法律上の擬制」とを区別することの重要性について語った。私有財産が形式上尊重されているにもかかわらず、中国でのその他全てのことと同様に、調べを進めると、この問題はよりはっきりしないものになっている。

まず第一に、憲法ではまた、「国家は、社会主義の法秩序の統一と尊厳を守る」とも述べている。これが私有財産の擁護とどのように両立するのかは、スターリニストの学者たちに任せよう。しかし、自尊心のある資本家が等しく眉をつり上げるのは、個人が都市とか田舎のいずれの土地も所有できないだけでなく、「社会主義の公共財産は、神聖不可侵である」といった記述でもある。もしこれが資本主義だとすれば、それは確かに極めてまれな資本主義である。

しかし、トロツキーの忠告に従い、形式的な法律文の範囲を越えてみよう。私有財産権の基本的な基準は、所有する財産を自由に処分できることである。それこそが財産が私的だということの核心である。問題は次の点である。中国の資本家はその資産を支配しているか?そうだ…がしかし、中国共産党の願望に合致するように、資本家が資産を使用する場合に限ってである。

個々の資本家は、国有企業を含めて、企業の株式を所有している。しかし、彼らは、事業の最終的な支配権を持ってはいない。中国共産党が最高経営責任者の任命を、事実上監督しているということをすでに見てきた。しかし、党の統制はさらに強力である。中国共産党が、直接的に又は間接的に介入して、書類上では私的であるが、実際にはそれほど私有財産ではないのを明らかにした無数の例が存在する。例えば、中国は、欧米を真似て、国有企業のトップの最高経営責任者にストックオプションを与えて報いた。しかし、こうした最高経営責任者がその株式を売却しようと決めたとき、そうしてはならないと理解させられた。熱帯雨林の一部の所有と同様の形で、彼らは会社を所有している。つまり、自らの証書を―壁につるすことができる。それ以上の何でもない。

最も有名な例は、もちろん、オーナーのジャック・マーが中国共産党を批判した後、共産党がアント・グループの株式公開を中止したことである。アント・グループの親会社は何十億ドルもの損失を出し、ジャック・マーは何年も公の場から姿を消した。スキャンダルの後、この複合企業は、ジャック・マーの経営権が53.46%からわずか6.2%にするという「改革」を行った。疑いもなく、彼の弁護士は、中国では私有財産が不可侵であると主張するのを忘れた。

こうした突然の財産諸関係の変化は、この場合に限ったことではない。2004年に、ハイアールの重役たちは会社の所有権を増やそうとした。これが世間を騒がせた後で、政府は、事前通告なしに、ハイアールがもはや私有ではなく国有だと決定した。ハイアールはすぐに国有化され、それから何年も論議が続いた後で、同様に突然民間企業に戻された。

中国の私有財産の「柔軟な」性質は、危機の時に最もはっきりと現れる。中国共産党は、コロナウイルス感染症の大流行の間、どの資本主義国をもはるかに凌駕する方法と規模で、資源を結集することができた。この大流行はあらゆる地域を襲い、各国の政府は様々な方法で対応した。しかし、資本主義諸国は、その対策がどんなに厳しいものであっても、財産の私的本姓によって制限された。彼らは、非常に限られた方法で、商品やサービスの生産を向けるけることができるだけだった。対照的に、中国は、政府が決定した目標を達成するため、社会の全てを動員することができた。中国が権威主義的な政府を持っていること自体(パンデミックの間、すべての政府が権威主義的だった)だから可能だったのではなく、中国が民間資本の利益を無視し、計画に従って機能することができたから可能だったのだ。

疑いもなく、中国の現状はソ連の状況と違う。私有財産を所有する資本家階級が確かに存在する。しかしながら、この私有財産の現実は非常に矛盾している。階級としての資本家たちは、さらにその権利を完全に確保しなければならない。彼らは完全な経済的・政治的支配を持っていない。なぜなら、国の軍隊は彼らに忠実なのではなく、中国共産党官僚に忠実だからである。資本家階級が中国でその独裁を確立するには、この現実を変えなければならない。つまり、中国共産党の権力が破壊されなければならない。

8)反革命か政治革命か?

中国における反革命はどのようなものになるのか?ソ連やユーゴスラビアの例は、概要を提供している。内戦の可能性は十分にある。全般的には、資本家たちは経済を無制限に支配するだろう。国営企業はより徹底的に民営化されるだろう。政府は金融部門の支配を失うだろう。資本の流れは自由化され、中国市場を帝国主義の金融にずっと依存させるだろう。数百万人が、疑いもなく、リストラで仕事を失うだろう。今回、それは、急速に発展する経済の只中ではなく、社会的崩壊という状況があるなかである。さらに高い可能性があるのは、中国と台湾が反動的な資本主義に基づいて再統一されるだろう。それは国民党の戦略的目標である。こうした展開のどれもが、より発展した民主的諸権利や市民的自由に導くだろうと考える根拠は何もない。

中国における反革命の国際的なインパクトも、同様に悲惨なものになるだろう。ソ連の崩壊のように、中華人民共和国の崩壊は、米国その同盟諸国の立場を強化し、こうした国々が再び奔放なやり方で世界中に力を行使させるだろう。さらに、資本主義の復活で起こるだろう生産力の大規模な破壊は、地球全体の生活水準を押し下げるだろう。

中国が資本主義だと主張するいわゆるマルクス主義者たちは、今日の中国で防衛すべきものの一切の存在を否定することにより、こうした悲惨な結果に寄与して積極的に活動している。そうすることで、彼らは、1980年代と90年代に、左翼の大部分がたどった裏切りの道を追求しているのである。ポーランドから東ドイツ、ソビエト社会主義共和国連邦に至るまで、左翼は反革命に拍手を送った。今日、彼らは何ものも学ばず、中国に対して同じことをしている。彼らは、香港の民主化デモのような、明確な親帝国主義の運動を支持している。中国の反体制派の人々をリベラルな民主主義の幻想から決別させ、共産主義の革命家になるため育成させるのではなく、こうしたグループは、中国社会の反革命的潮流を強化しているのである。

幸いなことに、中華人民共和国の運命はまだ決まっていない。決め手となるのは、世界で最強の中国労働者階級の行動である。しかし、反革命を打ち負かすには、労働者階級はその政治的任務を自覚するようにならなければならない。第一に、このことは、1949年革命の獲得物が中国共産党の革命的打倒によってのみ保証されうる点を理解することである。これが政治革命である。資本主義国における革命とは違い、国家機構を完全に解体する必要はなく、むしろ上から下まで粛清し、労働者階級の政治的支配下に置く必要がある。

中華人民共和国の堕落の程度とまん延した資本主義の影響を考えると、政治革命は劇的で発作的な転換になるだろう。中心的な任務は、資本主義産業を収奪することである。資本家たちは間違いなく抵抗するだろう。しかしながら、資本家たちは、国家が彼らの支配下にないという事実により、阻まれるだろう。

天安門事件が示したものは、プロレタリアートの勢いの下で、指揮官たちを含め、命令を拒否する人民解放軍の全大隊と共に、国家機構そのものが揺らぎ始めたのである。強力な社会的衝突に直面して、スターリニスト官僚機構は宙に浮き、崩壊し始める。中国であれ、東ドイツであれ、ハンガリーであれ、政治革命の様々な例は全て、歪曲された労働者国家での労働者階級の蜂起が、国家機構の大半を味方に引き入れる現実的可能性を持っていることを示している。中国でのこうした結果は、資本家の収奪を簡単な行政の措置にするだろう。そうした国家の裂け目は、いかなる資本主義国においても不可能であり、政治革命と社会革命を区別する重要な要因である。

結論

我々は、いかに中国が資本主義でも帝国主義でもないことを論証してきた。とはいえ、この問題をどう見るにしても、非常に変わった現象であるのは明らかである。国家統制と資本主義を結び付けるなかで、中国は人類史上類を見ないスピードと規模で発展することができている。ブルジョア理論家たちは、これを米国の世界自由貿易資本主義体制の勝利として解釈する。中国共産党の支持者たちは、これを「中国の特色ある社会主義」の勝利として解釈する。中国が資本主義、帝国主義の国だと考える「マルクス主義者たち」はどうかと言うと、中華人民共和国のとてつもない成果を、軽く扱うか否定することはできるが、説明することはできない。

マルクス主義者として中国を分析するためには、第二次世界大戦後と冷戦の終焉後の非常にまれな状況から出発することが必要である。レーニンとトロツキーは、主要な帝国主義者たちが一つの強国の圧倒的な支配で結ばれている状況には直面しなかった。ただ1つの超大国が存在する世界においてはなおさらである。レーニンとトロツキーを引用するのは十分ではない、つまり彼らの分析と綱領をこうした特有の現実にまで拡大することが必要である。根本的には、ソ連後の世界の独自性こそ、現在の世界情勢と中国の発展の独自性を説明している。

中国の大規模な発展は、帝国主義やスターリン主義の勝利ではなく、特殊で独特な諸条件の産物である。1989年の天安門運動の鎮圧は、一時期、政治革命と反革命の両方の扉を閉ざした。その結果、中国は90年代初頭から、比較的穏やかな国際情勢に直面し、労働者国家の性格を無傷で維持したまま現れ出た。

表面上は、中国共産党は、悪魔との取引を通じて、勝利を収めたようである。しかし、高成長と資本主義との共存は、政権への外部からの圧力がただ低い水準にあるから可能であった。国際情勢が変化し、米国が中国と対峙するなかで、成長は停滞し、内部の緊張は高まっている。中国共産党が階級闘争を消し去ろうと懸命に努力しているにもかかわらず、労働者と資本家の間の容赦ない対立は、再び政治の舞台の最前線で噴出するだろう。その時、中国のスターリン主義が労働者国家をいかに深く腐らせてきたかが分かるだろう。

中華人民共和国が反革命から救われうるかどうかは、労働者階級の先頭に立つ政治的指導部によって決まる。もし親資本主義諸勢力が主導権を握ることを許すならば、中華人民共和国は破滅する。その形が何であれ、スターリン主義がなだめられれば、中華人民共和国も破滅する。勝利への唯一の道は、第四インターナショナルの道である。つまり帝国主義に無慈悲に反対し、革命の社会的獲得物を防衛し、スターリニスト官僚を打倒し、社会主義革命のための国際的な労働者階級の同盟を鍛え打ち固めることである。中国の独自の発展が国際階級闘争の産物であったように、中国の将来の運命もまた、世界の労働者と団結することにかかっている。これこそ目の前にある任務である。