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https://iclfi.org/pubs/icl-ja/2025-oct7

以下の文書は、『Spartacist』英語版、第70号、 2025年5月から翻訳されたものである。

10・7以前のパレスチナの状況は比較的安定していた。とはいえ「安定」は「望ましい」という意味ではない。ネタニヤフ政権がいかなる交渉の試みも拒否する「紛争管理」政策で知られるようになるなかで、実際には、状況は何年も悪化の一途を辿っていた。それどころか、イスラエルはアメとムチの政策を追求した。アメとしては、安定した統治事業を確保するため、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府とガザのハマスに資金が提供された。ムチとしては、ヨルダン川西岸と東エルサレムは増々軍事化され、入植者がより多くのパレスチナの土地に侵入できるようにした。こうした地域では、2021年から2023年まで毎年、イスラエル軍に殺害されたパレスチナ人の数が「戦時」以外で最多を更新した。ガザでは、「紛争管理」はまた数年ごとの「草刈り」を意味し、つまりイスラエルが気力をくじく種をまくために繰り返し、虐殺を行ってきた。彼らは、2008年、2012年、2014年、そして2021年に、増々激しくこれを実行したのである。

この「紛争管理」の期間、イスラエルはネタニヤフの汚職と司法権の支配をつかもうとする試みに関連した内部危機に直面し始めた。そしてそれはネタニヤフに対する、リベラル勢力が支配的な影響を持っていたゼネストに至った。地域を見ると、シリアの内戦は何年もの膠着状態が続き、アサド体制が優位な立場に立ったように見えた。アサド側でのヒズボラとイランによる介入が不評だったにもかかわらず、彼らは比較的強力な軍事的立場を維持した。

10・7とハマスの戦略

10・7はこの地域の現状を粉々にした。ハマス主導の攻撃はガザのフェンスを突破して、イスラエル国防軍と交戦し、数百人の民間人を虐殺した。これは1973年の第4次中東戦争以来、イスラエルに対する最も深刻な攻撃であった。イスラエル政権は「紛争の管理」からその「解決」へと方針を転換させた。いかにして?「ハマスを撲滅」することによってである。つまりパレスチナ人の抵抗を全て抹殺し、パレスチナ人を死、民族浄化、そして降伏によって服従させることである。

19ヶ月がたった今、力のバランスは、イスラエル国家と米帝国主義に優位に動いた。ガザは廃墟と化し、5万人以上のパレスチナ人が殺害された(多くの人はもっと高い数字を推定している)。イスラエルが大量虐殺の戦争を激化させ、ガザ地区を飢餓に陥れる道を阻むものが、今や何もないのである。この悲惨な状況は、単にイスラエルの軍事的優勢だけの結果ではない。それはまたハマス自身の戦略のせいでもあり、いくつかの誤った思い込みに基づいている。つまり、

  1. 米帝国主義が介入し、イスラエルにパレスチナ人への譲歩を強いるだろう。
  2. 米国は、「国際社会」、世論や抗議運動からの圧力によって、そうせざるを得ないだろう。
  3. イランとそれ以外の反米・反イスラエル勢力「抵抗の枢軸」は、イスラエルに対して地域戦争を宣言せざるを得ないだろう。
  4. イスラエルにおける混乱はその軍隊が内部から崩壊するぐらい大きいのだろう。

最初の思い込みは、米帝国主義へのハマスの幻想を物語っている。彼らは、米国の国力が弱まることにつれて、米国が譲歩し、その勢力圏から撤退する傾向が強くなると信じていた。実際には 正反対である。みずからの覇権が脅かされる中で、米国はイスラエルという攻撃犬にさらにいっそう頼らざるを得ないのである。

第二の思い込みで示された希望は、米国が国際社会を主導していることを否定するものである。西側諸国とか従属したアラブの諸政権が米国の絶対命令に逆らうだろうと信じることは、希望的観測に過ぎなかった。抗議運動に関して言えば、西側諸国では依然としてリベラルな政治が運動を支配的しており、その無力さが確かだと保証していた。中東全域では、抗議運動が、ガス抜きや政府自身の無策の隠蔽手段として、諸政権に後押しされたり、ハマスと似た政治を持つイスラム主義者により率いられたりした。いずれの場合も、大衆の勢いは抑えられた。

第三の思い込みは、イスラム教のイラン体制とヒズボラへの盲信を示すものだった。テヘランの聖職者体制とレバノンのシーア派運動の指導者たちは、常に彼ら自身の国内安定と狭い利益をパレスチナ人の利益よりも優先してきた。これこそ彼らの「戦略的忍耐」という方針の背後にあるものである。すなわち反米・反イスラエルを掲げる「抵抗の枢軸」がイスラエルと米国に対して長期の消耗戦を行い、徐々にその軍事力を弱らせ、それと共に「国際法」と自由主義の原則に基づく外交要求を行うという考えである。実際には、 「戦略的忍耐」はイスラエルと米国にすべての主導権を譲り渡したのである。イスラエルと米国は、絶えずエスカレートさせ、可能な限り最強の打撃を与え、過去の戦闘のあらゆる規範を破るのを全くいとわなかった。その一方で、「抵抗の枢軸」は、相当な軍事力を有していたにもかかわらず、依然として政治的に麻痺して絶えずに後退し続けていた。

第四の思い込みは、ハマスがイスラエル国内の危機を誤解していたことを示している。イスラエル社会の分断は確かに根深い。しかしながら、キブツの人々や祭りの参加者を無差別に虐殺した10・7のような衝撃は、そうした分断を激化させるどころか、むしろ橋渡しの手段を提供することになった。この種の行動は、支配階級とシオニズムの全翼を勢いづかせる。彼らは、イスラエル国家こそ新たなホロコーストに対する唯一の防壁であると主張している。だからこそ、パレスチナ運動に普及している、イスラエル社会が深刻な打撃で崩壊するだろうという考えは、誤りであり非常に混乱させているのだ。さらに、ハマスは、停戦交渉継続を求めるリベラル・シオニストからの圧力がパレスチナ側に有利な譲歩につながるという幻想を抱いていた。しかし、リベラルは優位に立っているのではない。ネタニヤフの右翼政権こそが優位に立っているのだ。彼は主な優先事項がハマスを壊滅させることだと明確にしている。実際に多くの人質が死んだ。そしてネタニヤフは人質が死んでも、それならそれでよいと明らかにしている。こうした政策はイスラエルのリベラルに多くの恐怖を引き起こして一方で、彼らは対抗する手段を持っていない。なぜなら彼らは、ネタニヤフと戦争の根本的な前提を共有しているからである。

したがって、10・7がイスラエルに深刻な打撃を与えたにもかかわらず、作戦の背後にある戦略は政治的問題であふれ、そこから抜け出せずにいて、解放闘争にとって最悪の事態につながることしかできなかったのだ。ハマスは、10・7がガザに対する新たな壊滅的な戦争を開始させるのを十分知っていた。そして、彼らはそれに勝利できないことも知っていた。彼らの戦略は、「抵抗の枢軸」が戦争に参戦することで、国際社会と米国がイスラエルに対して介入を強いられると期待して、ガザを虐殺に提供することにあった。

代わりに、イスラエル政府は、ハマスによる民間人への無差別虐殺に乗じて、米国の全面的な援助を受けつつ、公然と大量虐殺へと向かった。イランとヒズボラは、この戦争中、その場しのぎのためらいがちな態度で浪費した。これこそイスラエルが壊滅的な打撃に利用した弱点である。国際社会に関しては、米国は、それが無意味な宣言や国連決議を出す以外に何もしないのを確実にした。今や、西側諸国でパレスチナ運動が後退するなかで、反動的な政治家たちは猛烈に活動家への弾圧を行っている。結局、ゆっくりと「イスラエルというカエルをゆでる」という親イランの標語は、次のようなユダヤ教の習わしに比べて、致命的だということを証明した。「もし誰かがあなたを殺しに来たら、立ち上がりまず彼を殺せ。」

「抵抗の枢軸」

ハマスは消滅してはいないし、イスラエルが罰せられていないわけではない。しかし、イスラエルが優位に立っていることは明らかである。そしてハマスが、今もなお、どんな力を有していたとしても、パレスチナ人にとって勢力の均衡を改善するには十分ではないだろう。ハマス指導部は、既にガザの支配を譲り渡し、「抵抗の武器を放棄することはレッドラインだ」ものとのみ述べている。

レバノンでは、イスラエルは、この地域におけるイスラエル国防軍の最大の挑戦相手の一つであるヒズボラをうまく抑止した。ヒズボラによるこの戦争への介入のすべては、ガザでの戦闘が荒れ狂う限り、レバノン戦線で戦いつづけることだった。ヒズボラの指導者ハサン・ナスララは、最後の演説で、「ガザへの侵略が停止するまでレバノン戦線は停止しない」し、ネタニヤフが「入植者を北部に『帰還させ』好き勝手なことをすることはできない」と述べた。数日後、ナスララは停戦協定に署名する準備を整えた。しかし、その直後の2024年9月27日に、彼は暗殺された。ヒズボラの戦争目的は挫折し、組織の指導部は暗殺された。もちろん、ヒズボラは今もなお存続している。ナスララの大規模な葬儀は、大きな影響力の誇示であり、レバノン史上最大の集会であった。にもかかわらず、イスラエルは依然としてレバノンの5つの監視地点を占領し、ヒズボラを攻撃し続けている。

イランは、「抵抗の枢軸」の中心勢力であり、この戦争でメンツを潰された。パレスチナ人とレバノン人は、イランは最初からもっと強力に介入すべきだったとよく口にする。そうしないで、イランは、戦争の大半を停戦に向け外交圧力を高めようとすることに費やしたのだ。イランは、シリアの領事館の爆撃からヒズボラ指導部のほぼ全員の殺害に至るまで、イスラエルによる数え切れない挑発行為の末、完全に強いられたときのみ介入した。イランによるイスラエルへの攻撃、とりわけ2024年10月の2度目の攻撃は、180発の弾道ミサイルを含み、警告なしに実行されたが、その軍事能力を示した。複数の新世代ミサイルがイスラエルの防空システムを貫通し、イスラエルの基地を正確に攻撃した。このことは、イスラエル国内では、イランとの戦争を主張していた一部の人々をちゅうちょさせ、抑制した。

イランのミサイル攻撃は、戦闘におけるイランの主要な戦略的問題が軍事的ではなく政治的なものであることを浮き彫りにした。イラン大衆を絶えず恐れ、経済危機に陥ったイスラム体制は、依然として米国との和解を期待しており、アヤトラ・ハメネイは、改革派の隠れ蓑の下で、これを追い求めている。この状況こそ、大量虐殺の間中ずっと、イランの絶えず続いてきたためらいと無為無策の源である。互いのミサイル攻撃の後で、主導権はすぐにイスラエルに戻り、そのイスラエルはパレスチナ人、ハマス、ヒズボラの戦闘員などへの虐殺を続けたのである。

ヒズボラとイランにとってもう一つの深刻な打撃は、シリアで憎まれたアサド独裁政権の崩壊である。この政権はかつて武器の補給ルートをヒズボラとイランに保証していた(「反帝国主義だけがシリアの諸民族を団結させることができる」『Workers Hammer』 No.255、2025年冬参照)。新シリア政府は最初から「イラン・プロジェクト」に反対だと明確にしてきた。そして、イスラエルがシリア南部に侵攻し、シリアの最高地点を占拠した後でも、西側の帝国主義に訴えかけてきた。

とは言え、新政権の態度は変わることがあり得る。イスラエルは、ダマスカス南部地域の「非武装化」を望むと公言する声明を何回か発表しており、ダマスカスのドゥルーズ派マイノリティを防衛するために侵攻する用意があると主張している。こうした脅威が増大するなかで、新政権はある種の対応に迫られる圧力に直面するかもしれない。とはいえ、このことは、新国家内の分裂を考えると、非常に弱いものになるだろう。4月初旬、政権はイスラエルの駐留を非難する声明を発表し、ダルアー県の地元民兵(ダマスカスで政権を握ったシャーム解放機構民兵の一部ではない)は南部でイスラエル占領軍と交戦した。イスラエルがどこまで拡大に向けて進むかは今のところ不明である。いずれにせよ、地元のシリア民兵は深刻な脅威をもたらしてはいない。

イスラエルはシリアで宗派主義をあおりたてていて、アサド体制の支柱だったアラウィー派、キリスト教徒、そしてドゥルーズ派といったマイノリティに働きかけようとしている。最近沿岸部で起こったアラウィー派の大量殺戮は、新政権下でのシリア統一のいかなる見通しを不可能にしている。アサドが失脚するまでは、10・7は、イスラエルの侵略に対して、この地域のスンニ派とシーア派を結束させるように見えた。アサドの失脚はこうした見せかけを取り払ってしまった。つまり、レバノンではスンニ派の宗派主義の政治が再び表面化し、ハマスと「抵抗の枢軸」はシリアに関して分裂し、シリア政権はヒズボラと「抵抗の枢軸」と激しく衝突している。

フーシ派は、「抵抗の枢軸」の中で、その権威が強化されてきた唯一の勢力である。米国、ブリテン、イスラエルによる絶え間ない爆撃にもかかわらず、彼らは紅海での貿易を頻繁に妨害し、イスラエルを直接攻撃することさえできた。トランプはさらに彼らを爆撃して屈服させようとしているなかで、これはバイデンの失敗したキャンペーンよりうまくいく兆候はほとんどない。にもかかわらず、フーシ派は今やいっそう孤立している。イランによる米国との交渉は、彼らにとって良い兆しではない。

イスラエル

イスラエルの国内情勢は複雑である。支配階級は独立した勢力ではなく、1956年のスエズ危機以来、とりわけ1967年の第三次中東戦争以来、この階級はアメリカ帝国主義と結び付いてきた。イスラエルにおいて決定的なことは、米国から吹いてくる風である。イスラエルの第一の重要性は、その天然資源や産業では決してなく、帝国主義による中東の分割と搾取を保証するのに仕える前哨基地として役立ってきたことである。シオニズムはこの役割を正当化する上部構造を与えているのだ。

何年もの間、イスラエルの支配階級の中で派閥争いが激化してきた。一方には軍・諜報機関や大手テクノロジー企業と結びついたリベラル派のシオニストがおり、他方には入植者団体から支援を受け、ネタニヤフ率いる右派シオニストが対立している。10・7は、こうした派閥の競合する大規模なデモを、一時的に中断させた。しかし、戦争の負担、悪化する経済危機、トランプの再選、そしてネタニヤフによる司法・治安機関を全面的に見直すための新たな動きは、分断を再び明るみに出した。人質解放交渉を支持する定期的な抗議行動や大量虐殺の継続を支持する極右の準定期的なデモは、そのひとつの現れである。ネタニヤフによる安全保障局長官ロネン・バーの解任に対する最近の抗議行動も、その別の現れである。

ネタニヤフは、闇の国家に対する民主主義の擁護者というイメージを打ち出している。そしてリベラル・シオニストとアシュケナジム(ヨーロッパ系ユダヤ人)に依然として支配されている司法・保安機関と闘ってきた。ネタニヤフは、ミズラヒム(中東と北アフリカ系ユダヤ人)の不満をうまく利用してきた。彼らは、イスラエル社会の約半数を占めている。彼らにとって、リベラル・シオニズムとアシュケナージの支配は、住宅や雇用において軽蔑と差別を意味した。(このことは、なぜ多くのミズラヒムがヨルダン川西岸で入植者となったかを、説明するのに役立つ。)イスラエル人全体が、10・7以降、大量殺戮の熱狂的な支持に駆り立てられる一方で、リベラル支配者層への怒りは、パレスチナ「問題」への唯一の解決が民族浄化という「最終的解決」だと、政府が主張するのを容易にした。

リベラル・シオニストは常にパレスチナ人の民族浄化と「エレツ・イスラエル」という聖地の占領の目標を支持してきた。しかし民主主義の隠れ蓑(少なくともグリーンライン内のユダヤ人にたいしては)を使ってそうしようとしてきた。しかし、10・7以降、「中東唯一の民主主義国家」としてのイスラエルの茶番は、国際的に完全に信用をなくした。ネタニヤフ派は、ボナパルティスト的な武装した神政国家を強化することに向けて進むなかで、ユダヤ人に対してさえ、もはやこの茶番を続ける必要はないと確信している。土地の強奪、民族浄化、そして「抵抗の枢軸」への打撃を通して、ネタニヤフは、イスラエル政治の再編に成功しており、リベラル・シオニズムの政治空間は滅び去りつつある。したがって、たとえリベラルが政権に復帰したとしても、それは変化した政治状況のなかになるだろう。ネタニヤフの計略が、ただ違った装いで追求されるだろう。

イスラエル労働総同盟の労働組合官僚は、依然としてイスラエルのリベラルブルジョアジーの陣営に完全にとどまっており、その指導者たちは大量虐殺に肩入れしている。戦争初期に、この労働総同盟の指導者アルノン・バル-ダビドは、組合を代表して、ガザに投下される爆弾に誇らしげに署名した。ここ数年の間、イスラエル労働総同盟がゼネストに入るたびに、支配階級の一部の支援を得てきた。とは言え、このストライキ運動は矛盾している。すなわち、労働者の意識は、依然としてリベラル・シオニストで、排外主義であり、パレスチナ解放に敵対している一方で、それは戦争の遂行に対する怒りも反映している。共産主義者は、こうしたストライキに介入して、次のことを示さなければならない。つまり: 人質を解放し、政府を打倒し、生活水準を改善する闘争を前進させるために、民族排外主義が完全な行き詰まりだと、そしてこの闘争における労働者の最大の同盟者は、米帝国主義とシオニストの支配者と戦っているパレスチナとアラブの大衆であること、と。

イスラエルの左翼

イスラエルの左翼は、依然として惨めなほど小さく、リベラル解党主義にはまりこんでいる。最も目立つのは、イスラエル共産党とつい最近結成されたStanding Together (団結)という組織であり、「団結」指導者の多くはイスラエル共産党出身者である。両者ともアラブ人とユダヤ人の党員が混在しており、共産党は圧倒的にアラブ人の党員を擁する。両グループとも、階級協調とリベラル・シオニズムの強い伝統を持ち、パレスチナ人の平等は二国家共存案で成し遂げることができるという茶番を推進している。共産党は中道派のシオニスト勢力に屈服することさえある。それは、共産党の国会議員団が、2019年にベニー・ガンツを首相として支援したときに見られた。

その一方で、「団結」は、2008年以降のヨーロッパにおける左翼組織の流儀で左翼ポピュリスト運動を構築しようとしており、もっぱらリベラルで道徳主義の政治で、パレスチナ問題をシオニストに受け入れやすいものにするのを意図している。例えば、彼らは、ハマスのヤヒヤ・シンワルとネタニヤフの二人を、「人命を気にかけない冷笑的な政治家」として、ひどいことに同一視した。しかし、彼らの屈服の歴史にもかかわらず、両グループは、特に共産党は、とりわけ大学で、アラブと反シオニストの若者が闘争のために関心を向ける最初の組織である場合が多い。その最良の分子を獲得するために、マルクス主義者は、シオニズムとアメリカ帝国主義との断絶の必要性を説き、イスラエル労働者の解放に不可欠なものとして、パレスチナ人の解放を擁護する義務を主張することにより、こうした組織に介入しなければならない。

イスラエル/パレスチナにおける中間主義の先駆は、国際社会主義オルタナティブの社会主義闘争運動である。社会主義闘争運動は、紙の上では、「団結」が「イスラエルの排外主義/民族主義の圧力に屈する」ことに反対している一方で、彼ら自身の綱領はリベラル・シオニズムに屈服している。社会主義闘争運動の要求は「団結」とほぼ同じリベラルなスローガンであり、例えば「戦争を止めよう」、「全員は全員との交換を」(人質/捕虜の全員が双方で解放されるべきである)、「尊厳ある命を」などである。これはさらにパレスチナの抵抗闘争の側に直接立つというわけではない。彼らはまた、腐敗したイスラエル労働総同盟の官僚に完全に屈服している。 2024年のイスラエルのゼネストでは、完全に親資本主義のシオニスト官僚に対する彼らによる批判は、もっと早くストライキを組織すべきだった、そして(支配階級の一翼によって支持された)一日ストは48時間ストに変えるべきだということである。共産主義者は、社会主義闘争運動との共同活動を追求しながら、シオニズムへの譲歩と社会主義闘争運動の介入のリベラル的性格を暴露すべきである。

もう一つの潮流は、インターナショナリスト社会主義同盟、すなわち革命的共産主義インターナショナル・テンデンシー (RCIT) のイスラエル/占領されたパレスチナ支部に代表される。RCITはパレスチナの抵抗運動を支持し、労働者階級政党に指導されるアラブ革命を通じたイスラエル国家の破壊を呼びかけている。しかし、彼らの介入のほとんどの場合はイスラエルの犯罪を非難し、パレスチナの抵抗運動への軍事支持を宣言することにとどまっている。他の多くの左翼と同様に、革命的共産主義インターナショナル・テンデンシーは代替策を決して提起しない。つまり民族主義戦略に対置してパレスチナ解放を促進する闘争のマルクス主義戦略を決して提起しない。こうした政治の裏の側面は、イスラエル社会を階級の線に沿って分裂させるといういかなる展望も放棄していることである。このようにして、革命的共産主義インターナショナル・テンデンシーは、共産主義者の前衛的役割を民族主義の陣営に解党し、革命家を非共産主義勢力のただのおべっか使いに変えている(「イスラエル/パレスチナ問題に関する革命的共産主義インターナショナル潮流との論争」『Spartacist Letters』 1号、2024年11月参照)。

最後に、明確にリベラルで道徳主義の左翼の中には、良心的兵役拒否者がいる。彼らはイスラエルの若者に兵役を拒否するよう説得しようとする。これが具体的に意味するのは、 階級闘争を通じてイスラエル国防軍を内部から弱体化するための戦いを犠牲にすることである。こうした勢力は、小さく取るに足りない性格にもかかわらず、無視されるべきではない。共産主義者は、彼らを弾圧から防衛しつつ、シオニストの戦争機構を破壊する唯一の方法が、軍隊を階級の線に沿って分裂させ、全地域の勤労者との同盟を組織することによってだということを主張しなければならない。

展望

諸勢力のバランスがイスラエルに有利に変わったのは明らかである。「抵抗の枢軸」は深刻な打撃を受け、国際的なパレスチナ連帯運動は、トランプが主導する西側諸国政府によって、粉砕されつつある。イスラエルを抑止するものはほとんどないため、ガザやヨルダン川西岸からレバノンやシリアに至るまで、さまざまな領域でイスラエルの長期にわたる継続的な侵略が予想される。これは大衆の爆発の土壌を整えるだろうが、その時期は予測できない。その時まで、しかしながら、中東の民族ブルジョア諸勢力は、この新常態を受け入れようとしている。つまり、イランは米国と交渉し、アラブ首長国連邦 (UAE) は、ハマスが後退を被った今、その影響力を高めようとし、エジプトは引き続きガザとの国境を閉ざしたままにし、そしてレバノンとシリアは継続するイスラエルの攻撃に対して自国防衛を放棄している。

停戦合意は結局ただの紙切れだった。そしてネタニヤフがガザを民族浄化する「トランプ計画」を実行するのに、妨げになるものはほとんどない。イスラエルによる軍事作戦の再開にもかかわらず、トランプとその特使スティーブ・ウィトコフは新たな停戦合意を示唆した。ガザに何らかの「持続可能な平穏」が訪れるならば、イスラエル政府は、可能な限り多くの住民に対し「自発的な移住」を提案することで、人口の間引こうとする可能性が高い。完全な民族浄化を極端に進めれば、従属的な地位にあるアラブ諸国、特にヨルダンとエジプト政権の存続を脅かすこともあり得る。こうした国々の政権は、住民や軍の兵員からイスラエルに宣戦布告する圧力に直面している。今までのところ、サウジアラビアも、現状でのイスラエルとの国交正常化は利益にならないかもしれないと思っている。

アラブ諸国が一時的にまとまっているように見える中で、アラブ首長国連邦は外れものとして存在している。ガザ地区への影響を画策しながら、彼らはハマスを除外するキャンペーンを開始している。ハマスの行き詰まった戦略は、こうした親帝国主義の反体派を勢いづかせてきた。ガザ地区では、最近の抗議活動において、親アラブ首長国連邦のファタハ派のモハメド・ダーランによるスローガンが繰り返された。それはハマスを「テロリスト」と非難し、反シーア派の宗派主義を扇動している。アラブ首長国連邦が資金供給する新ポッドキャスト、「アラブ・キャスト」の最近の放映は、著名なアラブの知識人や政治家を特集している。彼らは、イスラエルとの交渉を求め、ガザにおいてハマスに反対するアラブ首長国連邦の計画を支持している。もし米国政府とイスラエル政権が元の「トランプ計画」が自らに強いる損害が大きいすぎると気付いたなら、彼らはしばらくの間ガザを統治するため、アラブ首長国連邦とモハメド・ダーランとの合意に満足するだろう。しかしながら、いかなる取り決めも不安定な状況をもたらすだろう。

共産主義者の任務

米国とイスラエルが攻勢に出て、パレスチナ運動が至る所で守勢に立っている中で、共産主義者の全体にわたる任務は、運動をより強固な防衛的足場に据えるために闘わなければならない。多くの親パレスチナの闘士が依然として運動の悲惨な状況に気が付かない一方で、失望や幻滅を感じているものもいる。我々はこうした両方の層の人々に働きかけ、彼らと共に戦わなければならない。それは、彼らが過去の教訓を引き出し、指導者たちの失敗した戦略の階級的原因を理解し、民族解放に向けた国際主義の革命的綱領を押し出すためである。

ガザでは、状況は極めて困難である。イスラエルによる大量虐殺の軍事行動が再開される中で、共産主義者は他の抵抗諸組織と統一戦線において、ガザ防衛の最前線に立たなければならない。極めて重要なのは、高まる敗北主義の感情と闘い、ガザ地区における親UAE、親帝国主義、そして反ハマス運動に反対することである。こうした運動の代表者たちは、大衆の極度の疲弊につけ込みながら、パレスチナの人々にとってただ破滅的状況になりうるイスラエルへの降伏の下準備をしている。こうした勢力と戦い、イスラエル国防軍に抵抗する中で、共産主義者はハマスに政治的支持を一切与えず、その破綻した戦略と軍事戦術を常に暴露しなければならない。多くの困難や逆境にもかかわらず、共産主義者は抵抗勢力を存続させ、イスラエル国防軍の壊滅的な作戦による損害を抑えるために、この軍への圧力を維持しなければならない。

この闘争におけるいかなる勝利も、ガザ地区だけで勝ち取れるものではないだろう。高まる敗北主義的感情を弱め前進する唯一の道は、この地域全体を網羅する展望を持つことである。中東全域にわたる反帝国主義統一戦線こそ、新たな大量虐殺作戦に立ち向かうため緊急に必要とされる。この必要性は常にあったにもかかわらず、それが具体化しなかったのは、もっぱらこの地域の様々な政権の裏切りが原因であり、それらを当てにするパレスチナ運動の指導者たちのせいである。腐敗したアラブの支配者からイランの聖職者、そしてトルコのエルドアンに至るまで、彼らは皆、自身の残忍な支配を維持することが最優先だということを示してきた。彼らはパレスチナ人のために重大な介入の危険を冒すつもりなどない。

したがって、革命家たちは、中東の 大衆 に直接働きかけ、彼らの支配者たち—どんなに親パレスチナの言葉を発しようとも—に反対することで、反帝国主義の統一戦線を構築しようと努めなければならない。この地域におけるパレスチナへの圧倒的な支持を、大衆の最も切実な欲求のための闘争—彼らの憎むべき支配者、米国とイスラエルに対する闘争—と結びつけることによって、運動は実際に現状を打破し始めることができる。これこそ、宗派の、エスニックや民族の分裂を克服する方法でもある。

こうした戦線はイスラエルの労働者に広げなければならない。階級の線に沿ってイスラエル社会の断裂を抜きにして、パレスチナ人の自由は遠い将来の見通しのままだろう。共産主義者は、イスラエルの勤労者の解放には シオニストの諸勢力とイデオロギーとの断絶が必要であることを明確にすることによって、他の左翼に対して断固とした闘争を行わなければならない。左翼の大半によるリベラル・シオニズムへの屈服は、革命運動にとって最大の危険である。共産主義者はまた、ミズラヒムに働きかけ、彼らの抑圧が、—まるで「善良な」ユダヤ人であるのを示すかのように—シオニズムをさらに受け入れることではなく、それを拒絶することによって解決されるのだということを示すよう努めなければならない。すべてのイスラエル労働者—特にミズラヒム—にとって、その生活の改善は実際、シオニスト支配者に反対して、アラブ人との同盟を通じて成し遂げられるのである。

イスラエル国防軍内の活動は最も重要である。軍は数十年ぶりの最悪の兵役拒否の危機に直面しており、10万人以上の予備役兵が兵役を拒否している。これこそ、兵士の間に、長引く戦争への反対がいかに沸き立っているかを示している。共産主義者は軍に入り、この大量虐殺戦争の本質を暴くことにより、兵士たちの不満を階級線に沿って導こうと努めなければならない。

西側諸国において、共産主義者の第一任務は、運動が敗北し孤立していることを自覚し、なぜこうした状況なのかを理解することである。この運動は、自由主義者や時には帝国主義者の直接の代表(米国の民主党、ブリテンの労働党、フランスのメランション主義者など)によって主導されてきた。こうした指導者とリベラル政治に支配される中で、この運動は労働者階級との結び付きをせず、労働者階級の闘争の結集点どころか、啓蒙人士の道徳的立場として現れた。これこそ、なぜこの運動が何の重要な獲得物をもたらさなかったかの理由である。さらに、このような政治と指導部は大抵の労働組合指導者が、時折連帯の演説は別として、この運動のためにほとんど何もしなかった状況を可能にした。共産主義者にとって喫緊の課題なのは、パレスチナ運動を再建するために介入することである。しかしそれは、明確な労働者階級と反帝国主義の基盤に基づいて再建することである。パレスチナと帝国主義の問題を、労働者の基本的な生活諸条件のための闘争と結び付けることによってのみ、この運動が現実の力になることができる。闘士たちは、支配階級の盾となるリベラルな政治家や労働組合官僚に迎合することが、 運動の妨害だけだということを理解しなければならない。

西側諸国で反動の風が吹く中、活動家たちはさらなる弾圧にさらされている。フランスのアナス・カジブ(Anasse Kazib)、オーストリアのミヒャエル・プロブスティング(Michael Pröbsting)からアメリカのマフムード・ハリル(Mahmoud Khalil)に至るまで、支配階級は著名な闘士たちを見せしめにしたいと望んでいる。運動の再建は、こうした弾圧への反対運動を構築することから始めなければならない。弾圧は、反動的な現状の下で社会を統制する広範な支配階級の動きの一側面に過ぎない。

戦争の始まり以来、我々国際共産主義者同盟は、リベラルと民族主義の行き詰まりに抗して、パレスチナ運動のマルクス主義戦略のために絶えず戦ってきた。我々の介入は、残念ながら主に西側諸国に限られているが、根本的な方向転換抜きに、パレスチナ運動が敗北に直面すると、辛抱強く警鐘を鳴らしてきた。我々は特に、我々の批判や政治的攻撃を、大半の社会主義左派に集中させた。我々の記事「マルクス主義者とパレスチナ:100年の失敗―教訓と見通し」(『Spartacist』 [英語版]号6 9、2024年8月)の中で、我々は次のように書いた。

「パレスチナ人は、解放ではなく、壊滅に直面している。パレスチナ闘争を前に進める方法を提供するために、現状について真実を語ることから始めるのが必要である。大抵の国際的なマルクス主義グループは、そうするのではなく、運動が敗北へと向かうなかで、それを積極的に称え、応援している。彼らは、異なる戦略や方針のために戦うのではなく、リベラルであれ民族主義であれ、運動の指導部に追随している。その結果、いわゆるマルクス主義者たちが闘争の場のどこにでもいるのに、彼らはほとんどその結末に全く影響がなく、無関係である。」

我々の警告は、悲観主義だと非難され、そして運動にいかに多くの人々が関わっているかと反論・反撃された。その運動は不滅の上げ潮に乗っているかに思われた。残念ながら、現在の悲惨な状況は我々が正しいことを証明している。全ての真面目な親パレスチナ闘士の第一の責務は、現在までの失敗の原因に真正面から立ち向かわなければならないということである。これこそが前進への第一歩である。