https://iclfi.org/pubs/icl-ja/2023-11-conference
以下の翻訳は、国際共産主義者同盟(第四インターナショナリスト)第8回国際大会で採択された主要な文書である。
どう見ても、ソ連邦崩壊後の30年間は、世界史的に比較的安定した時期であった。この間にも危機や血なまぐさい衝突はあったが、それらはやはり例外的なことであり、20世紀の動乱に比べれば穏やかなものだった。武力衝突は低強度のものであり、何百万もの人々の生活水準は改善され、世界の多くの地域で社会の自由化が起こった。国際労働者階級にとって破滅的な敗北であったソビエト社会主義共和国連邦の崩壊後に、どうしてこのようなことが可能だったのだろうか?
帝国主義支配階級とそのおべっか者たちは、これらの発展が共産主義に対する米国のリベラルな資本主義の優位性を決定的に証明したと宣言した。マルクス主義を標榜する人々の反応はどうであったか?中国共産党は経済のグローバル化の旗手となり、世界貿易機関に取り入り、社会主義を単なる儀礼的な目的に追いやっている。多くの親モスクワのスターリニストたちは、単に崩壊した。トロツキスト・グループはどうかと言えば、彼らは戦争、緊縮財政、人種差別主義に反対する自由主義運動を追いかけ、革命党の必要性を正当化することができなかった。多少の「マルクス主義者」は未来のための社会主義を説き続けたが、自由主義の勝利主義に対する革命的な反対勢力を築いた者はいなかった。
今日、自由主義の風は過ぎ去った。Covid-19の大流行とウクライナ戦争は、世界情勢の転換点となった。危機は常態化し、安定は例外となりつつある。米国の覇権が脅かされ、安定を支えてきたあらゆる要因がほころびつつあるなかで、前途が平穏であると幻想する者はほとんどいない。自由主義には、特に労働運動のなかにはまだ擁護者がいるが、彼らはもはや自信をもって攻勢に出ることはなく、足元が溶けていくのを感じながらヒステリックに反応するのみである。自由主義は現在、右翼や左翼のポピュリズム、イスラム主義、ヒンドゥー教ナショナリズムから中国のスターリニズムにいたるまで、実際の挑戦者に直面している。リベラル派自身も、政治的な正しさやアイデンティティ政治の基準をめぐって、互いに引き裂かれつつある。しかし、雲行きが怪しくなり、米帝国主義とその同盟諸国が主導権を取り戻そうとするなかで、プロレタリアートの前衛は、組織的規律と政治的方向性を失ったままである。
レーニンによって始められ、トロツキーによって継承された、労働運動を日和見主義から分裂させるための闘いは、もう一度取り上げられ、今日の世界の任務と動力学に適用されなければならない。国際共産主義者同盟の第8回国際大会とこの文書は、自由主義による勝利主義のソビエト崩壊後時代を批判し、米国の覇権の衰退を特徴とする今日の新しい時代に対する分析とプログラムの基本的要素を概説することによって、この闘いの基礎を提供しようとするものである。世界の労働者階級が大惨事と衝突に直面するなかで、この階級を権力へと導くことができる革命的な国際前衛党が、これまで以上に緊急に必要とされている。
I.一極世界の起源
米国は、資本主義世界の紛れもないリーダーとして、第二次世界大戦から現れ出た。その国内経済は世界のGDPの50%を占めていた。そして、世界の外貨準備高の80%を保有し、最強の軍事力を持ち、世界の主要な債権国であった。米国はこの優位を利用して国際秩序を再構築した。ブレトンウッズ体制は、米ドルを世界の基軸通貨として確立し、一連の多くの機関(国連、IMF、世界銀行、NATO)が米国の優位性を祭りあげるため、自由主義の資本主義世界秩序の基盤を築くために創設された。
米国の圧倒的な経済力にもかかわらず、ソビエト社会主義共和国連邦は主要な対抗勢力だった。赤軍は恐るべき軍隊であり、その支配は東欧全域に及んでいた。スターリンが米帝国主義と永続的な合意を取り付けようと試みたにもかかわらず、いかなる協定も不可能だった。ソ連邦の存在と力そのものは、米国資本主義による世界支配に対する挑戦を意味した。世界中で、反植民地闘争が本格化し、反帝国主義勢力はソ連邦に政治的・軍事的な支援を期待した。勝利した1949年の中国革命は、非資本主義世界の重みをさらに増し、米国内にヒステリーとパニックを引き起こした。世界は事実上、二つの対抗する社会制度を代表する、二つの競い合う影響圏に分割された。
他の帝国主義大国が自国を再建し、米国が次々と反共の軍事的冒険に従事するなかで、度を超した拡張の最初の明確な兆候が現れた。米国のベトナムでの敗北が転機となり、国内外において経済的・政治的混乱の時代が幕を開けた。1970年代初頭には、いわゆる「米国の世紀」が早期に終焉を迎えると信じるに足る強い理由が存在した。しかしながら、1960年代後半から70年代前半にかけての革命的な始まり—フランス(1968年)、チェコスロバキア(1968年)、ケベック(1972年)、チリ(1970-73年)、ポルトガル(1974-75年)、スペイン(1975-76年)—はすべて敗北に終わった。これらの敗北を確実なものにすることによって、労働者階級の日和見主義的指導部は、帝国主義が安定化するのに必要な余地を提供した。1970年代後半から1980年代初頭にかけて、帝国主義は再び攻勢に転じ、民営化と経済の自由化という新自由主義時代の開始を標した。1981年には、レーガンは、PATCO航空管制官ストライキを粉砕することによって、米国の労働者階級に対し決定的な敗北を加えた。とりわけ1985年のブリティッシュ鉱山労働者の敗北をはじめとして、国際労働者階級のさらなる敗北が続いた。この時期、これまで以上の圧力がソ連邦に加えられた。冷戦は新たな高みへと引き上げられ、米国は中国との反ソ同盟を通じて中ソの分裂を利用した。
1980年代末までに、ソビエト社会主義共和国連邦と東欧圏は深刻な経済的、政治的苦境に陥っていた。アフガニスタンからの赤軍の撤退とポーランドでの「連帯」による反革命的勝利は、モスクワの支配官僚の士気を一層くじくものとなった。モスクワがDDR(東ドイツ)を売り渡し、ドイツ再統一を黙認した後、ソ連邦自身を売り渡たすのにそう時間はかからなかった。世界帝国主義の圧力は、数十年にわたるスターリン主義の裏切りによる労働者階級の士気低下とも相まって、十月革命の獲得物の最終的な清算という結果をもたらした。1991年までに、階級諸勢力の国際的な力のバランスは、世界の労働者階級と被抑圧者を犠牲にして、帝国主義にとって有利に決定的に移行した。
II.ソビエト崩壊後時代の反動的性格
米国製の超帝国主義
ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊によって、世界秩序はもはや二つの社会体制の対立によってではなく、米国の覇権によって規定されるようになった。米国に対抗できる個々の国も国の集団も存在しなかった。米国のGDPは、最も近いライバルである日本のほぼ2倍であった。米国は世界の資本の流れを支配していた。軍事的には、どの国も近づくことさえできなかった。米国の自由民主主義モデルは、あらゆる国が向かうと期待される進歩の頂点だと宣言された。
多くの点で、現れ出たこの秩序は、「超帝国主義」、つまり大国が共同して世界を略奪することに合意した体制に似ていた。これは、カール・カウツキーが予想したような金融資本の平和的発展によってもたらされたのではなく、第二次世界大戦後のヨーロッパと日本の帝国主義の灰の上に築かれた、一つの大国の優越によってもたらされた。米国は、残部からこれらの諸帝国を再建し、冷戦の間、反共同盟で統一した。冷戦が終わったとき、この帝国主義による統一戦線は解体されたのではなく、多くの点で強化された。例えば、ドイツの再統一は、多くの人々が恐れていたようなヨーロッパでの緊張激化を引き起こさず、米国とNATOの承認のもとで行われた。
ソビエト崩壊後時代の例外的な安定は、米国がライバル諸国に対して圧倒的な優位を保持していたこと、そしてこれまで未開拓だった市場の多くを金融資本に開放したことで説明できる。1989年には、世界人口の3分の1が非資本主義諸国に住んでいた。この年に始まった反革命の波は、労働者諸国家の多くを完全に破壊し、あるいは中国の場合のように、集産化した経済の基盤を維持する一方で、帝国主義資本に開放することへとつながった。こうした展開は、帝国主義に猶予を与えた。ドイツ、フランス、ブリテン、米国は、市場シェアをめぐって互いを引き裂く代わりに、東欧を西側の政治的・経済的な集団に引き入れるため共に活動した。ヨーロッパ連合(EU)とNATOは歩調を合わせロシアのその国境にまで拡大された。アジアでも同様の状況が存在した。米国と日本は協力して、中国をはじめ東アジアや東南アジアの他の地域で経済自由化を促進し利用した。
大国の統一戦線は、世界の他の国々に、米国の政治的・経済的命令に従う以外の選択肢をほとんど与えなかった。あいついで、IMFと世界銀行は、米国の金融資本の利益に従って規則を書き換えていった。この「新自由主義」は1980年代にはすでに十分進行していたが、ソ連邦の崩壊がそれに新たな推進力を与えた。米国によって描かれた方針に従うのを拒否したり、それに妨げられたりした数カ国(イラン、ベネズエラ、北朝鮮、キューバ、イラク、アフガニスタン)は、世界秩序に何ら重大な脅威を与えることはなかった。
この好都合なパワーバランスは、帝国主義者たちに儲かる投資機会を与えただけでなく、対外貿易に関連したリスクを軽減した。資本家たちは、米国の政治的・軍事的優位が、大きな衝突や過度に敵対的な政府から彼らを保護してくれることを知って、海外投資や貿易を行うことができた。これらの要因は、国際貿易の著しい成長、生産の大規模な「海外移転」、国際資本循環の爆発的な増加、すなわちグローバリゼーションという結果につながった。
グローバリゼーションに対するマルクス主義の回答
自由主義帝国主義の弁護者は、「グローバリゼーション」が世界の多くの地域で生活水準の重要な上昇を、一般により低価格の消費財をもたらすと考えている。過去30年間の世界的な分業の拡大が、国際的に生産力の発展につながったことは否定できない。例えば、低・中所得国の一人当たりのエネルギー消費量は2倍以上になり、世界の識字率はほぼ90%にまで上昇し、自動車生産台数は2倍以上に、さらに鉄鋼生産量も2倍以上になった。一見すると、こうした進歩的な発展は、資本主義が最終段階に到達し、独占資本の支配が寄生性と長期の衰退をもたらすと主張するマルクス主義の帝国主義理論と矛盾するように見える。しかしながら、こうした事態の過程に矛盾しているどころか、マルクス主義の分析だけが、こうした事態を完全に説明でき、その説明の過程で、自由主義の世界秩序が、いかにゆるやかな社会的・経済的進歩に導くのではなく、社会的な惨事をもたらすかを示すことができる。
手始めに、生産力の持続した成長を説明するため、金融資本に進歩的な役割を負わせる必要は決してない。ソ連邦の崩壊後の諸条件―軍事的脅威の減少、労働運動の弱体化、対外投資のリスクの減少、広く行きわたった自由化―は、帝国主義が一時的に衰退への傾向を克服するのを可能にした。実際、トロツキー自身、この可能性を予測した。
—『レーニン死後の第三インターナショナル』(1928年)
これこそまさに起こったことである。プロレタリアートを犠牲にした階級諸勢力の関係における劇的変化の後、資本主義は新たに活力が与えられた。しかし、これは、単に帝国主義の総体的な衰退傾向における一時的な休息に過ぎず、それは現在では標準の状態に戻りつつある。
第二に、資本主義の擁護者にとって、計画経済に対する自由市場の優位性は、東欧の歪曲された労働者諸国家と今日の東欧諸国の生活水準(ポーランドがその標準的な例である)を比較することによって証明される。実際、この主張には、不平等、女性の地位、大量の移民など、特定の尺度によって諸状況が悪化していることを別にして、反論することができる。正統的なマルクス主義者、すなわちトロツキストは、孤立した労働者国家の計画経済が、その極めて大きな利点にもかかわらず、先進資本主義大国のより高い生産性と国際的な分業のために、それに勝つことはできないと常に主張した。スターリニストは、ソ連邦が単独で
(そして後に同盟諸国と共に)、帝国主義との「平和共存」の手段によって、先進資本主義諸国を追い越すことができると主張した。しかし、平和共存がまさに不可能だということこそが、これを排除している。
帝国主義諸大国は、ソ連邦とワルシャワ条約加盟諸国に対して、常に極度の経済的・軍事的圧力をかけ続けた。ソ連邦とこの諸国の経済的成果は、こうした攻撃によって妨げられた。これに官僚の失政が加わった。この失政は、孤立と貧困という諸条件の中で、「社会主義を建設」しようとすることで必然的に生じた。資本主義ポーランドの持続的な経済成長は、グローバルな商取引への完全な統合によるものである。この可能性は、ポーランド人民共和国の荒廃した戦後経済に対し閉じられた。包囲された城とそうでない城の生活水準を公平に比較することなどできない。計画経済が優れていることは、敵対的な国際環境にもかかわらず、成し遂げられた途方もない発展を見れば一目瞭然である。これは、ソ連邦、キューバ、中国、ベトナムと同様、ポーランドにも当てはまる。
第三に、自由主義世界秩序の擁護者たちは、第二次世界大戦以降、戦争の激しさも数も減少し、ソ連邦崩壊以降さらに減少していることから、自由主義とグローバリゼーションが次第に平和へと導いているのを証明していると主張する。この主張のいくつかの事実側面には異議の余地もあるが、過去75年間、二つの世界大戦で起きた大規模虐殺に匹敵するいかなる衝突も起きてないことは否定できない。今日に至るまで、「欧州の平和を維持する」というのが、依然としてEUを擁護するために使われる主な論拠となっている。新たに世界大戦が起こらないのは、ただ米国が対抗諸国の上にそびえ立っている結果だというのが、事の真実である。この力関係は必然的に一時的なものである。レーニンは次のように説明した。
ソ連邦崩壊後が比較的平和な時代であったとみなすことは、数多くの非常に残虐な戦争が存在したという事実を消し去るものではない。米軍は、自国の軍事力を力強く行使し、金融資本の拡大を通じて数百万ものぼう大な人々を「平和的に」服従させる権利を確保するために、ほとんど絶え間なく低強度の戦争に従事してきた。世界平和に導くどころか反対に、この動態は、世界を再度分割するため、想像を絶する残忍な新たな戦争を準備するだけのものである。
第四に、生産力の成長は、ある想像上の自由貿易のためではなく、少数の大国によって支配される独占資本のくびきの下で、その利益に従って起こった。これは、短期的中期的な進歩が世界の特定の地域で起こったとしても、米国を中心にした帝国主義大国の金融的なきまぐれに依存度が高まっていることを意味する。例えば、さまざまな社会経済指標を見れば、1990年代以降、メキシコの生活水準の改善を観察できる。しかし、これは、米国への一層の経済的従属と住民の特定の層、とりわけ農民層の荒廃という犠牲がやってきた。このような状況は、成長の時期には、帝国主義者がその依存関係から莫大な利益を引き出し、危機が襲うと、彼らは法外な政治的・経済的譲歩を要求し、一層民族抑圧を深めることを意味する。このことはすべて、短期的な経済成長が、帝国主義への隷属という犠牲に値するものではないことを示している。
最後に、そして最も重要なことは、ソ連邦の崩壊は、人類進歩のより高い段階を告げるものではなく、米帝国主義の勝利を告げるものである。それは米国の金利生活者が世界を支配すること以外の何物でもない。生産力のさらなる発展を制限し、社会の衰退をもたらすのは、まさにこの階級の支配である。このことは、何よりもまず、米国自身に当てはまる。レーニンは『帝国主義論』の中で、次のように説明した。
これは米国経済の特徴を見事に言い表している。米国の国際金融利権がかつてないほど拡大したことで、米国のグローバルパワーの源泉であるかつての強大な産業基盤を空洞化させている。生産の海外移転、慢性的なインフラへの投資不足、桁外れの住宅価格、吸血鬼の医療産業、高額で低品質の教育など、これらはすべて米国資本主義がますます寄生的性格を帯びた産物である。産業の空洞化によって、米国の軍事力さえも損なわれている。
アメリカの支配階級は、無謀な投機、金利の安い信用、貨幣の印刷によって、米国の経済的衰退を補おうとしてきた。トロツキーが観察したように、「社会が貧しくなればなるほど、この架空資本の鏡の中で自らを見つめ、社会が豊かに見える」(「世界経済危機と共産主義インターナショナルの新たな任務」、1921年6月)。これは経済的災厄の前兆である。この国の全社会構造が朽ちかけており、労働者階級と被抑圧者の益々多くの層が貧困へと追いやられている。
こうした国内での衰退は、世界における経済的比重の低下と一致している。米国経済は、1970年には世界のGDPの36%を占めていたが、現在では24%以下である。すべての帝国主義諸国がこの傾向をたどっている。1970年には、上位5カ国の帝国主義大国(米国、日本、ドイツ、フランス、ブリテン)が合わせて世界のGDPの60%を占めていたが、今日では40%となっている。一方では、資本の国際的な輸出の驚異的な増加が衰退を引き起こした。他方で、多くの国々を近代的な資本主義諸関係に一層統合し、東アジアと世界の他の地域に巨大なプロレタリアートを生み出した。
世界経済における比重が増大したのは、いわゆる中所得諸国であり、とりわけ中国である。しかし、こうした経済的発展にもかかわらず、これらの国々は国際金融資本に従属したままである。金融力という点では、米国の最高位は以前として揺るぎない。ドルはいまだ覇権を握ったままであり、米国は主要な国際機関を支配し、資産運用会社の上位20社のうち14社がアメリカ企業で、合計45兆ドルという資本を支配している。これは世界のGDPの約半分に相当する。(他の上位6社の資産運用会社は、スイス、フランス、ドイツ、ブリテンのいずれかの会社である。上位60社のうち、中国、南朝鮮、その他のいわゆる「新興工業諸国」の企業ではない。)米国が依然として保持している覇権的地位とその低下した実質的な経済力との間の矛盾の拡大は、持続可能なものではなく、世界で拡大する経済的・政治的不安定の根本的原因である。
世界貿易の拡大、新植民地諸国の工業化、中国の発展、こうした要因すべては米国の覇権を掘り崩している。米国がその地位を維持するためには、現在の動きを逆転させなければならない。このことは、中国と対立し、新植民地諸国を圧迫し、関税障壁を引き上げ、同盟国に与えているパンくずを減らすことによって、グローバリゼーションの基盤を引き裂くのを意味する。根本的に、グローバリゼーションに反対する最も決定的な議論は、生産力の発展が、グローバリゼーションに基づく階級の利益、すなわち米帝国主義ブルジョアジーの利益に反するということである。これだけでも、自由主義の世界秩序を維持したり
「直す」ようにしたりするのは、反動的な空想にすぎないと立証している。
1989年のように、米国がその地位を補強することに成功する可能性がないというわけではない。しかし、それは、国際労働者階級の破滅的な敗北を代償としてのみもたらされうるものであり、帝国主義の不可避的な衰退を止めることには絶対にならないだろう。帝国主義の専制政治に終止符を打ち、真により高い発展段階を切り開くことができる唯一の勢力は、労働者階級である。グローバリゼーションは、実際に、プロレタリアートの革命的潜在力を強化した。この力は今日これまで以上に力強くなり、国際的になり、そして民族的に抑圧されるようになった。しかし、このことは今のところ、さらに強い政治的力になっていない。この点で、ソ連邦崩壊後時代は労働運動を実に大きく後退させた。
III.自由主義とソ連邦崩壊後時代の世界
自由主義の勝利主義
ソ連邦の崩壊は、経済的、政治的、軍事的な国際諸勢力のバランスに大きな変化だけでなく、主要なイデオロギー上の変化をももたらした。冷戦の時代、西側の支配階級は、「全体主義的共産主義」の専制政治に対する民主主義と個人の権利の擁護者として自らを演じた。根本的にこれは、歪曲された労働者国家と反植民地闘争に対する敵意をイデオロギー的に正当化するものだった。ソ連圏が崩壊するなかで、共産主義は死滅したと宣言され、自由主義の勝利主義が支配的なイデオロギーとなった。これは、帝国主義者の優先順位が「共産主義」との対決から、新たに開放された東欧やアジア市場への進出へと変化したことを反映している。
フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(1992年)は、ソ連邦崩壊後時代の初期の思い上がりと勝利主義をよく表している。自由主義の資本主義は、全世界に広がる運命にある人類文明の絶頂だと宣言された。もちろん、この空想的な見方の根底にあるのは、世界中に帝国主義資本が実際拡大するという現実だった。自由主義の勝利主義は、この過程をイデオロギー的に正当化するものだった。米国とその同盟諸国は、経済的・社会的進歩の名の下に世界を支配した。それは植民地における白人の責務の現代版である。
こうしたイデオロギーの覆いの背後で、米国はソ連邦崩壊後時代にさまざまな軍事介入を先導した。第一次湾岸戦争とセルビアへの介入は「小国を守る」ためだった。ソマリアへの介入は「飢えた人々を救う」ためだった。このイデオロギーは「保護する責任」(R2P)として国連に明記された。この方針の名前が示すように、諸大国は世界の抑圧された人々を守るため、軍事介入する責任があると宣言したものである。ブッシュ・ジュニアのイラク戦争がこの範疇にきっちり収まらなかったことが一つの理由で、この戦争に対する反対が極めて多かった。とはいえ、根本的には、イラクへの介入はこの時期における他の米国の介入と変わらなかった。その目的は何よりもまず、世界に対する米国の覇権を主張することであり、長期的な経済的、戦略的利益を確保することではなかった。イラクのような介入に反対した米国の同盟諸国は、米国が小国を潰せることを再度示すために、かなりの資源をつぎ込む価値あると見なさなかったため、反対したのである。それよりも、代償を払わずに米国の秩序の恩恵を享受したほうがいい。
この時期の武力衝突よりもずっと重要だったのは、帝国主義金融資本が地球の隅々まで経済的に浸透していったことである。グローバリゼーションの過程は、それ自体、一連のイデオロギー的原則に伴われ、促進された。一種の帝国主義的国際主義が、ほとんどの西側諸国の総意となった。民族国家は過去のものとされ、自由貿易、開かれた資本市場、そして大量の移民が、進歩と世界平和への道と見なされた。こうした高尚な原則もまた、支配階級の特定の利益を反映した。そして抑圧された国々の民族的権利を踏みにじり、西側諸国の産業を空洞化し、安価な労働力を輸入し、帝国主義資本と商品に市場を開放するため巧みに利用された。
ソ連邦崩壊後時代の労働運動
第二次世界大戦後の期間、労働者階級の先頭には、どこにも、意識的な革命的前衛が立たなかった。にもかかわらず、多くの重要な獲得物があった。ソ連邦、戦後の新たな労働者諸国家(後に中国、キューバ、ベトナム、ラオスが加わる)、そして資本主義世界における強力な労働運動などである。後者には強力な労働組合や大衆的な労働者政党が含まれた。しかしながら、こうした事例の一つ一つにおいて、日和見主義の官僚指導部が、絶えずこれらの労働者階級の力の拠点を弱体化させ、空洞化した。1980年代に米国とブリテンの労働組合が強烈な一斉攻撃を受けたとき、その指導部は、労働者の英雄的な犠牲にもかかわらず、こうした攻撃を撃退できなかった。東欧では、ソビエト官僚は闘うことなく次々と陣地を清算し、ついには自らを解体してしまった。つまるところこれらの敗北は、国際プロレタリアートの戦後の地位全体を不安定にさせ混乱させた。
これらの大惨事は資本家によって利用された。彼らは自らの優位な立場を活用し、弱体化し混乱した労働運動からますます多くの獲得物を奪い取った。世界のほとんどあらゆる場所で、労働組合の組合員数は減少し、国有化された産業や公共事業は民営化され、かつて強力だったイタリア共産党のような労働者党は単に解党し、西側諸国ではますます多くの産業が閉鎖された。労働者階級に対するこうした客観的な打撃は、労働運動の士気喪失と右翼的転換を引き起こした。
帝国主義諸国では、社会民主主義の指導者、スターリン主義の残党、労働組合のトップの大半が、公然と自由主義の勝利主義を受け入れた。伝統的な改良主義や労働組合主義は、この新しい時代にとって急進的すぎると考えられていた。階級闘争は終わったと言われ、労働組合は立派な(つまり無力な)ものにならなければならず、社会主義はせいぜい空想的なものと見なされた。労働運動内に民営化や自由貿易への反対は存在したが、ごく少数であり、それらが不可避であるという信念によって損なわれた。トニー・ブレアによるニューレイバーの計画は、この右翼的転換を象徴していた。彼は、労働党を、労働組合基盤の労働者階級政党から、米国の民主党に似た政党に変えようとした。政府においては、モダニズムと進歩的な社会的価値観といったうわべの飾りで固めた抜本的な新自由主義改革を推し進めた。こうした新しい「労働指導者」が、ブリテンやその他の国々で、労働運動の存在そのものや、労働運動が築かれたすべての原則を捨て去るなかで、伝統的な組織は一層弱体化し、空洞化していった。労働組合や労働者党における自由主義の支配は、基本的に労働運動が自らの足を切り落とすことに等しく、今日の弱体化した状態をもたらした。
帝国主義によって抑圧された国々
西側諸国や日本では、労働者階級の状態は、産業の海外移転によって低下した。しかしながら、帝国主義に抑圧された多くの国々では、産業は活況を呈したが、プロレタリアートは、その政治的地位がソ連邦崩壊後にさらに実質上低下するのを経験した。労働者階級が客観的に強化される中で、この弱さをどう説明するのか?国によって大幅な違いがあることを考慮に入れながら、一般的な傾向は確証することができる。1980年代から90年代における国際情勢は、「発展途上国」や「新興国」に対する帝国主義の支配力を引き締めることにつながった。その結果、第三世界の民族主義や戦闘的な労働者階級の政治を犠牲にして、自由主義の強化に有利に働いた。セクシュアリティ、人種、宗教といった社会的諸問題に関して自由主義は概してあまり進展しなかったが、経済的な自由主義(新自由主義)とある程度の政治的自由主義(形式的な民主主義)が支配的になった。
政治レベルでは、自由主義的民主主義への国際的な収斂は、幾分米国の外交政策の結果である。この政策は、民主的改革を、社会的動揺をくい止める最適な方法として、ますます見なすようになった。しかし、新植民地諸国の国内体制も、国際的な労働運動の弱体化によって大きな影響を受けた。エリート層たちは自分たちの立場により自信を持ち、彼らに譲歩の余地を与える一方で、被抑圧者は立場を弱めた。そしてその状況が急進的な変化をあきらめるよう圧力を強めた。このことは国内矛盾の先鋭化を軽減し、南朝鮮、台湾、ブラジル、南アフリカといった国々が、準全体主義の独裁制から一定のブルジョア民主主義に取って代わることができた。弾圧よりも階級協調に依存した政権にとっては、状況の変化は労働運動への譲歩の必要性を低下させた。例えばメキシコでは、70年間続いてきた古いコーポラティズムの一党支配が徐々に破壊され、それに伴って労働組合の影響の多くも排除された。
経済レベルでは、ソ連邦の存在によって、新植民地諸国が二つの大国間でバランスをとることを可能にした。多くの政権が経済の重要な部門を国有化し、国内の資本の流れをある程度統制した。こうしたモデルは非効率で腐敗していたが、米国や他の帝国主義者から一定の独立を可能にした。ソ連邦の崩壊は、こうしたモデルにとどめを刺した。新植民地主義諸国は、帝国主義者の経済的指図に完全に同調し、旧来のコーポラティズムで国家統制主義の構造を捨て去るしかなかった。
新植民地世界での労働運動もまた、西側とは異なる仕方ではあるが、高まった自由主義の圧力に屈服した。ブラジルや南アフリカのような特定の場合では、以前抑圧された労働者階級の政党である労働者党(PT)や南アフリカ共産党が、新自由主義の「民主的」新体制の執行者となった。メキシコでは、新自由主義に対する労働者階級の抵抗は、与党から分裂した左翼ポピュリストの革命民主党に結びついた。革命民主党自身は、より多くの米国資本がメキシコに浸透するのに反対していたのではなく、メキシコの強奪に対してより良い条件を求めていただけである。多くの国々では、労働運動は自由主義のNGO世界と一緒になり、階級闘争よりもむしろ「人権」や「ミレニアム開発目標」を後援した。こうして、多くの国々で労働者階級の経済力が成長していたが、自由主義へと進み、世界帝国主義との統合に向かって進む国内的・国際的な強い流れに屈服する指導部に政治的に麻痺させられる状況だった。
中国の特色ある新自由主義
東ドイツからソ連邦へと押し寄せた反革命の波の後で、中国共産党にとって前途は厳しいと思われた。1989年の天安門蜂起の血なまぐさい鎮圧は、政権を世界の舞台で孤立させた。米国とその同盟諸国にとって、中国がソ連の道をたどり、成長する自由民主主義の勢力に統合されるのは時間の問題だった。しかし、これは中国共産党がたどった道ではなかった。中国共産党が天安門と東欧圏の反革命から引き出した教訓は、権力を維持するためには、高い経済成長と厳しい政治統制を両立させる必要があるということだった。これを達成するために、中国共産党は、1970年代後半に鄧小平が始めた「改革開放」路線をさらに推し進めた。これは農業や工業の市場自由化、民営化、外国資本の誘致などから成っていた。現在、中国共産党による権力掌握はかつてないほど強固に見える。中国共産党とその擁護者たちにとって、中国は、指導者の賢明な政策によって、歴史の流れに導かれている。しかし、階級闘争のこれからの激流が明らかにするように、この見かけの成功は、中国共産党の舵取り能力よりも、ソ連邦崩壊後の停滞した状況にずっと関係している。
「グローバルな共産主義」の脅威が見たところ消え去るにつれ、また鄧小平が1992年の「南方視察」で外国資本を歓迎する路線を党に再確認させたため、帝国主義の投資が中国に殺到した。経済特区は、最良の新自由主義的自由市場の実践にふさわしい規制緩和された環境と、中国共産党によって従順が保証された安価な労働の巨大な予備要員を提供した。その一方で国家主導の経済は巨大な資源を結集してインフラと工場を建設した。この組み合わせは、独占資本主義に莫大な利益をもたらしたが、しかしまた中国における比類なき経済的・社会的進歩をもたらした。2008年以降の3年間で、中国は20世紀全体で米国が使用したよりも多くのセメントを使用した。1978年以来、GDPの成長は年間平均9%であり、8億の人々が貧困から脱却した。中国の世界経済への統合は、生産性の飛躍的な増大を可能にし、巨大な新市場を開き、経済成長と世界貿易の拡大の原動力として役立った。中国の台頭は、ソ連邦崩壊後時代の秩序の最大の成功であり、同時に最大の脅威でもある。
社会民主主義者やリベラルな道徳主義者にとっては、中国共産党の重商主義と抑圧的な政策は、中国が今や資本主義あるいは帝国主義すらなっている証拠である。しかし、ソ連邦や東欧で起こったことと違い、中国のスターリニスト体制は経済と国家の支配を決して手放さなかった。主要な経済的テコは集産化されたままである。多くの点で、中国の経済体制は現在、レーニンが「国家資本主義」と説明したものの極端なバージョンに似ている。つまり、プロレタリア独裁の下で、特定の経済分野を資本主義の搾取に開放することである。
鄧小平とその後継者たちによる政策のマルクス主義的評価にとって、市場改革や資本主義とのあらゆる妥協を単に原則的に否定することはできない。むしろ、協定の条件と目的、そしてこれらが労働者階級の全体的な立場を強化したかどうかを見なければならない。レーニンは、コミンテルンの第3回大会において、ソビエト労働者国家における対外的な利権への彼のアプローチを次のように概説した。
レーニンは、経済発展を促進し、革命が国際的に拡大することができるまで時を稼ぐ手段として、外国資本をロシアに呼び込もうとした。彼が準備できていた妥協は、資本主義との闘争を脇に追いやるということを少しも含まなかった。反対に、彼は次のように主張した。
これとは対照的に、鄧小平は「社会主義と市場経済の間に根本的な矛盾は存在しない」と公言した(1985年)。鄧小平とその後継者たちにとっては、世界革命に向けた時間稼ぎの問題などではけっしてなく、資本主義世界と本質的に調和するなかで中国を発展させるという夢物語を追求することであった。
この30年間は、生の経済データを見るならば、驚くべき結果をもたらした一方で、中国労働者国家の強さを階級的標準に基づいて評価すれば、その実態はまったく異なっている。中国の発展は、砂上の基盤の上に、つまり世界帝国主義との「平和共存」に基づいて築かれてきた。中国の台頭には根本的な矛盾が存在する。中国がより強くなればなるほど、その台頭を可能にした条件、つまり米国の覇権下での経済的なグローバリゼーションを掘り崩すのである。しかし、中国共産党は、米帝国主義との必然的な闘争に向けて国際的な労働者階級を結集するのではなく、何十年もの間、衝突を回避する手段として、「経済的相互依存」、「多国間協調主義」、「双方に利益をもたらす協力」への信頼を促進させた。このような平和主義の幻想は、帝国主義を決定的に打ち負かすことのできる唯一の勢力である労働者階級を武装解除することによって、中華人民共和国を弱体化してきた。
中国の立場は、中国本土に出現し、労働者国家の破壊に直接的な関心を持つ強力な国内の資本家階級によって、一層掘り崩されている。中国共産党は、社会システムに対するこの致命的な脅威を認識するどころか、この階級の成長を公然と奨励し、「中国の特色ある社会主義」の建設に向けたその貢献を強調してきた。その力が労働者階級の搾取に依存する階級は、労働者階級の国家権力に基づく体制であるプロレタリアート独裁の致命的な敵だということを理解するのに、マルクスの研究者である必要はない。
レーニンにとって、外国資本家への利権を確立する唯一の原則は、資本家にとって「150%の利益」を意味するとしても、プロレタリアートの権力を維持し、その条件を改善することであった。彼は、ロシアと外国双方におけるプロレタリアートの革命的潜在力に、彼の戦略全体の基礎を置いた。この展望は、革命を疫病のように恐れ、何よりもまた自らの官僚的特権を維持するために政治的安定を求める中国共産党官僚とは何の関係もない。中国共産党の政策は、「共通の繁栄」を築くどころか、海外の労働者と競争し、資本投資を確保するため、労働者階級の願望を抑制して、労働条件を可能な限り悲惨なままに維持しようとしてきた。利益を得てきたのは、「懸命に働く人民」ではなく、官僚と資本家のわずかな徒党である。真実は、中国共産党は国内外の資本家と連携して働き、中国国内と国際的な労働者に反対してきたということである。「社会主義」の名で行われるこの裏切りは、国際労働者階級から見れば中華人民共和国を汚し、1949年革命の防衛を掘り崩すのである。
IV. 自由主義に対して自由主義で戦う
1991年以降、西側諸国の強固な政治的総意には、左翼や右翼から反対意見が存在しなかったわけではない。しかしながら、一般的に言えば、こうした反対意見は、自由主義の世界秩序という基本的なイデオロギー的前提に挑戦しなかった。そしてそれは、この秩序の物質的基盤である米国の金融資本の支配に挑戦するものでもなかった。左翼に現れ出たさまざまな運動は、自由主義の道徳観に基づいて現状を批判した。つまり現状維持の基本的なイデオロギー基盤に基づいて現状を批判した。自由貿易、戦争、人種差別主義、緊縮財政のいずれに反対するにせよ、左翼の運動はすべて、全体制を無傷のままに、しかしその最も残忍な側面なしに保ちながら、帝国主義の行き過ぎを抑制することに基づいていた。レーニンが当時の帝国主義批判について説明したように、それは「あどけない願望」にすぎなかった。なぜなら、彼らは「帝国主義とトラストとの、したがってまた資本主義の基礎との不可分の結びつき」を認識していなかったからである(『帝国主義論』)。こうして、ソ連邦崩壊後のさまざまな左翼運動は、非難し、嘆願し、デモを行い、歌い、自分の箸を持ち歩くが、自由主義の帝国主義に対する真の反対運動を構築することはまったくできなかった。
反グローバリゼーション運動
反グローバリゼーション運動は、1999年のシアトルでのWTO抗議行動で本格化した。その後、世界中でさまざまな同様の運動が起こり、最終的に世界社会フォーラムが誕生した。この運動自身は、労働組合、環境保護主義者、NGO、先住民のグループ、アナーキスト、社会主義者の折衷的な混ざりものだった。この寄せ集めには一貫性も共通の目標もなく、資本主義の歯車を止めようとするグローバリゼーションの敗者と、その循環をより残酷でないものにしようとする自由主義左翼の連合体だった。
労働組合では、グローバリゼーションへの反対は、産業の海外移転による雇用喪失に対する労働者階級の抵抗によって駆り立てられた。このもっともな労働者階級の怒りは、正しく方向付けされたならば、国際的な階級勢力の均衡を変化させ、金融資本の攻勢をくい止めることができただろう。このことは、工場占拠、ストライキ、組合結成と組織化の推進など、独占資本の利益に直接対峙する強力な防衛闘争を必要としただろう。しかし、労働組合の指導者たちによって、その反対のことが実行された。
米国では、こうした指導者たちは、産業の海外移転や例えば北米自由貿易協定(NAFTA)などに反対したが、米国資本主義の世界支配を積極的に称賛した。彼らは自身すでに、「共産主義との闘い」に従事することでこの世界支配の実現に貢献した。労働組合は、産業の海外移転に導く実際の要因である米帝国主義の支配を支持し続ける一方で、雇用の防衛の闘いを実行することはできなかった。彼らは実際支持した。保護主義による反メキシコと反中国キャンペーンから大統領選でのビル・クリントン支持に至るまで、そうした。ヨーロッパでは、自由貿易に対する正式な反対でさえずっと弱く、多くの労働組合がマーストリヒト条約とEUを支持する積極的なキャンペーンを行った。そうしなかった組合は、米国の組合と同様、経済の自由化の背後にある支配階級と戦うのを拒否し、「外国の利益」に反対して、ある国で労働と資本間のブロックを追求した。どちらの場合も、結果は労働者階級にとって、大規模な雇用喪失といくつかの地域のすべてのところの衰退を伴う、まったくの荒廃状態であった。
反グローバリズム運動のもう一方の側は、さまざまなNGO、アナーキスト、エコロジスト、社会主義グループで構成されていた。これらのグループ自身のほとんどが主張しているように、彼らはグローバリゼーションに反対しているのではなく、「より公平で」「民主的で」「環境に優しい」グローバリゼーションを求めていた。先に説明したように、グローバリゼーションは帝国主義のくびきのもとで公平なものとはなりえない。そして、新自由主義の攻勢は国際労働者階級の立場を強化することによってのみ阻止することができた。反グローバリゼーション運動は、これを推進するために何もできなかった。それは自由主義の勝利主義の結果とおそらく闘うはずだったが、そうすることができなかった。なぜならこの運動が同じ自由主義の勝利主義を容認したからである。この運動は、階級闘争が終わり、民族国家が国際企業に取って代わったと主張した。だから、明らかにこの運動は、グローバリゼーションを支持する帝国主義諸国家に反対する階級闘争を組織しなかったのだ。
この運動はグローバリゼーションを基本的に避けられないものと見なし、労働者階級をせいぜい無関係のものと考えたため、何百万もの雇用の喪失に反対することは何もしなかった。左翼は、特定の労働組合官僚や反動的な政治家によって吹聴された保護主義的な排外主義を非難したが、雇用と労働諸条件を防衛するための綱領を提供することなしにそうした。これは、米国の海外進出のため、保護主義やネイティビズムを非難していたブッシュ家やクリントン家への左翼的な模倣者になることを意味した。反グローバリゼーション運動が拒否した基本的な真実は、米国とヨーロッパにおける労働者階級の雇用を真に防衛することが、「第三世界」の労働者の利益に反するものではなく、帝国主義の略奪を強めることに歯止めをかけることで、彼らの立場を強化するだろうということである。国際主義者になるために、労働者階級は、「自由主義」や「啓蒙主義」になってはならず、帝国主義を打倒するために団結しなければならない。帝国主義ブルジョアジーに対するいかなる闘争も、客観的に、国際労働者階級を団結させ、その民族主義の指導部と手を切るだろう。
反グローバリゼーション運動が少数の暴動を引き起こすことに成功した一方で、この暴動は帝国主義に何の脅威にもならなかった。現状への根本的な忠誠によって麻痺するなかで、この運動は、結局のところ、1990年代と2000年代初めにおける金融資本の圧倒的な攻勢のなかでの付随的な事件に過ぎなかった。ついには、NAFTAとEUへの正式な反対運動でさえ、実際労働運動とほとんどすべての左翼によって中止された。結局、グローバリゼーションに反対する勢力の無力さこそ、西側の何百万もの労働者をトランプ、フランスのルペン、イタリアのメローニといったデマゴーグたちの方へ駆り立てたのである。
2008年以降の米国とヨーロッパでの反体制左翼
2007年の信用バブルは、自由主義世界秩序の頂点を示した。その後の経済危機は、世界貿易の拡大、生産性の向上、政治的・地政学的総意といった安定と経済成長に寄与してきた活力が頓挫し反転するなか、重要な転換点を意味した。この危機とその余波がソ連邦崩壊後の時代を終わらせなかったが、それはこの時代を蝕む傾向を加速させた。西側世界の多くでは、数百万人もの失業と立ち退き、それに続く緊縮政策の波は深刻な政治的不満を引き起こした。1990年代以降初めて、ソ連邦崩壊後に存在した総意のキーとなる支柱を攻撃する主要な政治運動が現れた。右翼の側では、保護貿易主義、「多国間協調主義」への反対、公然たる排外主義が主流となった。左翼の側では、緊縮政策への反対、国有化の要求、そしてある方面ではNATOへの反対であった。こうした運動の特徴は大きく異なっていたが、一つの結論が不可避的である。ポピュリストの右翼が、2020年における一定程度の衰退の後、今日再び活気を取り戻しているのに対し、左翼の反体制運動はほとんど崩壊した。何がこの失敗を説明するのか?
反体制の左翼は、数十年にわたる新自由主義の攻撃によって前面に押し出された。この攻撃は2008年以降激化し、米国とブリテンの場合にはアフガニスタンとイラクへの軍事介入に反対することで際立った。これらの運動は現状に反発する一方で、それと決定的に決別しなかった。各運動は、自身のやり方で、社会状況の悪化の原因である帝国主義ブルジョアジーと結び付いていた。この旗手は、ブリテンのコービン、米国のサンダース、ギリシャのシリザ、スペインのポデモスだった。彼らとは対照的に、フランスのメランションはまだ目に見えるほどに失敗していない。とはいえ、メランションの運動には、外国のカウンターパートを破滅に導いた要素すべてが含まれている。
サンダースの場合、彼は米帝国主義の二大政党の一つである民主党の代表である。彼の「億万長者の階級に対する政治革命」に関した演説は、彼が億万長者を代表する政党に忠誠を誓っていることを考えれば、空虚なものであった。さらに、自由主義の改良主義政治家として、サンダースが約束した主要な改革である「すべての人のためのメディケア」は、より反動的な共和党資本家に対する「進歩的な」民主党資本家との結束に常に従属させられた。「右翼との闘い」の名目で、サンダースは彼が基づくと主張する原則を裏切った。サンダースが代表する運動の願望を踏みにじれば踏みにじるほど、彼は民主党の体制内で出世していった。今日この運動を、民主党の外でまたサンダース抜きで再現したいと望むものは、支配階級への屈服に導くのは自由主義の改良主義綱領そのものだということを理解できない。労働者階級の利益を米国資本主義の維持に調和させようとするいかなる綱領も、必然的にアメリカ資本主義の二つの翼の一つに支持を求めることになる。労働者階級は、米国政治の反動的な循環を断ち切り、真にその利益を前進させるために、自由主義者と保守主義者双方への全面的な反対で構築された自身の党を必要としている。
コービンによる運動はサンダースをめぐる運動と似ていたが、二つの重要な点で異なっていた。第一に、労働党は、民主党とは異なり、ブルジョア労働者党である。サンダースが民主党の体制に阻止されたのに対して、コービンは労働党の指導部を勝ち取ることができた。これは労働党が労働者基盤があるからという理由である程度説明している。もうひとつ重要な違いは、コービンが外交政策の諸問題になったとき、越えてはならない一線を越えたことである。コービンによるNATOとEUへの反対、2014年のNATOが支援したウクライナのクーデターへの批判、パレスチナ人への支援、そして核兵器への反対は、支配階級にとってまったく容認できないものだった。
ブリテン体制による猛烈な敵意と労働党内で続くコービンに対する反逆に直面して、彼に突きつけられた二者択一は、支配階級と直接対決するか屈服するかであった。しかし、コービンによる平和主義と労働党の改良主義の綱領は、階級戦争に打ち勝つのではなく、それを和らげようとする。そのゆえコービンは、あらゆる局面で、労働者階級と若者を動員して対抗する代わりに、支配階級と党の右翼をなだめようとした。コービンは、トライデント核潜水艦の更新、スコットランドの自決、イスラエルとパレスチナ問題、NATO、そして最も決定的なブレグジットに関して屈服した。サンダース以上にコービンの例は、階級闘争の遂行における改良主義の完全なる無力を示す典型的な事例である。
シリザの場合は、EUが課した緊縮政策に大衆が反対した結果、ギリシャで政権に就いたという点で異なっている。その台頭の速さこそが、裏切りの深さにぴったりと見合っていた。EUの緊縮策一括を圧倒的に拒絶した2015年の国民投票を組織した後で、シリザは、ギリシャの勤労者に対する一層過酷な攻撃を求める帝国主義の要求に応じることで、大衆の意志あからさまに踏みにじった。この裏切りの理由は、まさしくシリザの階級的性格と綱領にある。ギリシャで帝国主義に立ち向かうことができる唯一の勢力は、組織された労働者階級である。しかし、シリザは労働者階級の党ではない。シリザは、ギリシャをEUにとどめておく間ずっと、ギリシャの労働者や被抑圧者だけでなく、ギリシャの資本家にも奉仕することができると主張した。この神話は、現実との最初の接触で破裂してしまった。ほとんどの左翼が裏切られるまでシリザに喝采を送り続ける一方で、ギリシャ共産党は脇に立ち、ギリシャが帝国主義によって抑圧されていることさえ否定した。両者の政策の結果は、ギリシャの人々にたたき付けられた。こうした大失策は、民族解放のための闘争を階級的独立と労働者権力の必要性に組み合わせる党が、ギリシャで緊急に必要なことを示している。
世界が深刻な危機の時代に入るなかで、西側の労働運動は政治的にまとまりがなく意気消沈し、信じていた勢力に裏切られた状況にある。このことは短期的に見ると間違いなく右翼の進展につながるだろうが、労働者階級と大衆の新たな高揚は、自由主義の現状の代表者に代わる政治的選択肢の必要性を再度突きつけるだろう。不可欠なのは、敗北と反動の新たな循環を避けるために、過去の失敗の教訓が引き出されるべきである。
Covid-19、自由主義による大惨事
Covid-19のパンデミックの間、左翼は自由主義の体制に対して、気のない反対さえしなかった。世界中のブルジョアジーが、崩壊しつつある医療制度やひどい生活環境の改善に何も取り組まない一方、何カ月も続けて人々を閉じ込めておくなかで、左翼は喝采を送り、これまで以上に厳しいロックダウンを要求した。労働者階級に対するあらゆる攻撃も、「科学に従う」という名目で容認された。資本主義社会における科学は中立ではなく、ブルジョアジーの利益に奉仕するため使われるという基本的な理解は、マルクス主義を主張する人々によってさえも放棄された。
その結果自体が物語る。何百万もの人々がウイルスで死亡し、何百万もの人々が職を失い、家族が、女性や子どもや正気を犠牲にして、家に閉じこめられた。科学が次々と反動的な政策を正当化するために利用されたため、何百万もの人々が「科学」に背を向け、救命のためのワクチンを拒否した。医療制度は救われたのか?いや、どこでも以前よりずっと悪化している。勤労者はウイルスから守られたのか?いや、彼らは危険な状況のなかで働き続けた。高齢者は守られたのか?彼らの多くは老朽化した介護施設で亡くなった。そうでない人々は、社会的孤立と運動不足によって、生活の質が減少し寿命が縮まった。介護施設や退職後の施設内での危機はかつてないほど増大している。
自由主義者と左翼は、「命を救う」という名目で、政府と「科学」に従う以外に選択肢はなかったと主張する。しかし、ひとつ代替が存在した。労働者階級は自身手で事にあたり、自身の階級的利益に応じた対応を確保する必要があった。労働組合は、単に職場を閉鎖するか、または非常に危険な場所で働くかということに対抗し、安全な職場のために闘う必要があった。組合の代わりにボスや政府が職場の安全を管理する限り、労働者は防げる死で亡くなるだろう。医療や学校の労働組合は、後の幻想的な利益のために犠牲を払うのではなく、より良い条件のために闘う必要があった。そうした犠牲は、公共サービスを救わなかったが、支配階級が公共サービスをさらに圧迫することを許した。支配階級とそのロックダウンに対する闘争においてのみ、医療、住宅、労働条件、公共交通、高齢者介護のいずれであっても、危機の背後にある社会悪に対処することができた。
ロックダウンに労働運動が完全に服従したことで、パンデミックの悲惨な結果に対するいかなる反対も、右翼や陰謀論支持者勢力に支配されることが保証された。大規模な反ロックダウンデモとか予防接種義務化に反対するデモに参加した人々の多くは、パンデミック時における資本主義政策の社会的結果に対する正当な怒りからそうしたのである。左翼は、こうした感情を先取りし、労働者階級の状況を進展させる闘争に導く代わりに、圧倒的にそれを非難し、国家による弾圧に喝采を送った。
パンデミックにおける左翼と労働運動の完全な裏切りの基礎は、ソ連邦崩壊後の全過程において築かれた。この世界的規模の危機が襲い、ブルジョアジーがこれまで以上に挙国一致を必要としたとき、労働運動は気を付けの姿勢で立ち、「科学」と共有の「犠牲」の背後に労働者階級を忠実に集結させた。政府と左翼の大半はパンデミックをもみ消そうとしているが、そう簡単には赦免されないだろう。この大惨事の結果は、答えと代替策を探すよう労働者階級と若者を駆り立てながら、彼らに深い痕跡を残している。
V. 衰退する自由主義の秩序
思い上がりがヒステリーへと変わる
1980年代から2000年代初期まで、世界政治の動力は米国の力の相対的強化へ有利に働いた。米国がその経済的、軍事的、政治的立場を改善すればするほど、自由主義の世界秩序を強化する求心力は強くなった。この自己強化型の動力は、ソ連邦での反革命後に頂点に達した。これは、米国による比較的制限された直接の介入で、普及した政治的・経済的自由化を可能にした。その時、歴史の流れは、米国資本主義の利益を推し進めているように見えた。
しかし、物理学のように政治においても、すべての行動には反作用が存在する。必然的に、米国の覇権による実際の結果は、対抗勢力を活発にさせた。米国によるますます無謀な軍事介入は、地政学的な大惨事であり、資源を浪費し、国内外で米国による外交政策への反発を強めた。金融の規制緩和と産業の空洞化は、米国の経済力を掘り崩し、競争相手を強化した。一方で、それはまた、世界経済全体をずっと不安定にし、危機に陥りやすくした。米国の支配階級が、反動的な利益を促進するため、隠れ蓑に自由主義を利用すればするほど、自由主義に対する抵抗を助長した。ゆっくりとしかし確実に、自由主義の世界秩序に好都合な動きが次第に弱くなり、それに立ち向かう勢力がより強くなる兆候が増した。2008年の金融危機、2014年のウクライナにおけるクーデターと衝突、2016年のドナルド・トランプの大統領選出とブレグジットは、すべてこの傾向の重要な指標である。
米国は、その力が弱まるのを感じるなかで、思い上がりはヒステリーに変わった。米国は、その力を補強するため、これまで以上に強く振舞い、中国やロシアと対峙し、同盟諸国を圧迫し、ますます多くの国々に制裁処置を課している。しかし、こうした力の行使は、代償をますます大きくし、見返りを減少させている。米国の対応は、その衰退に歯止めをかけるどころか、今のところただ衰退を定着させているだけである。パンデミックとウクライナ戦争に続く今日、世界政治の動きが逆転したことは明らかである。現在、自由主義世界秩序が加速しながら衰退している。NATOとロシアは代理戦争のさなかにある。米中関係は恒常的な敵対状態にある。非帝国主義世界ではポピュリストの民族主義が台頭し、左翼(メキシコ)と右翼(インド、トルコ)の両方が表れ出ている。西側の政治は、伝統的な自由主義と決別することにより帝国主義支配を強化しようとする人々(トランプ、ドイツのための選択肢(AfD)、ルペン、メローニ)と、自由主義の聖戦を倍加することで帝国主義支配を強化しようとする人々(バイデン、トルドー、ドイツの緑の党)との間で、ますます二極化している。
増大する世界の不安定さは、誰にとっても不思議なことではない。対立の本質をめぐって論争が持ち上がっている。自由主義者にとって、それは民主主義と専制政治の間の対立である。リバタリアンと社会民主主義者にとっては、自由市場対国家の介入である。スターリニストと第三世界主義者にとっては、覇権と多極主義の間の争いである。すべて間違っている。その答えは、『共産党宣言』の簡潔だが洞察力のある言葉にある。すなわち「これまで存在したすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である。」そしてそれゆえ、今日破綻をきたしつつある自由主義世界秩序は、階級闘争の法則に従っている。世界を形作っている根本的な対立は、中国共産党と米国資本家の間でも、トランプとバイデンの間でも、プーチンとNATOの間でも、メキシコのロペスオブラドール(AMLO)とヤンキー帝国主義の間でもない。世界を揺るがしている根本的な矛盾は、帝国主義段階にある資本主義によってもたらされた社会的衰退と世界プロレタリアートの利益との間に存在している。この理解に導かれないものは、前途にある混乱のなかで自らを方向付けることできないし、ましてや人類進歩のための闘争を前進させることもできないだろう。
グローバル経済:巨大なねずみ講
前に説明したように、米国の覇権は、帝国主義の潜在的成長において一時的な改善を可能にした。そして、この経済状況の改善こそ、過去30年間に亘る資本主義世界の長期的安定を可能にした。しかしながら今日、拡大の可能性を使い果たしただけでなく、以前拡大を可能にした諸条件が逆転しつつある。その結果、生産力が著しく破壊され、これに伴ってあらん限りの不安定性が生じるだろう。トロツキーは『レーニン死後の第三インターナショナル』のなかで次のように書いている。「国家は、階級と同様に、豊かで増大する配給よりも、わずかで減少する配給のために、いっそう激しく戦う。」この要因は、現在の世界情勢を支えており、局面に大きな変化がないならば、引き続きそうであろう。
8年から10年の好況と不況のサイクルは、資本主義経済の正常な変動である。無謀な投機と過剰生産の後には、崩壊と恐慌が続く。ソ連邦崩壊後の時代も何の違いもない。しかしながら、実質的な成長の可能性が低下するなかで、投機と信用は、米国がその秩序全体を支えようとする主な方法となった。2008年の「大不況」の余波は、このことをはっきりと露呈した。あり得る恐慌に直面して、米国は、歴史的に前例のない信用と金融の拡大を調整した。このことは、実質成長を沈滞させたが、資産価格を巨大に上昇させた。ほとんどのブルジョア経済専門家にとってさえ、明らかにこれは、単にこの先一層大きな崩壊の諸条件を整えることを意味していた。この10年以上もの間、悪化する成長の兆しを見るたびに、「信用を増やすことで、難題を先送りする」という同じ戦略がとられてきた。Covid-19のパンデミックの間、この方法は繰り返し推し進められ、過去最高水準にまで達した。経済を幅広い範囲で停止させることの影響を解決するため、資本家たちは単に金を刷っただけである。これはあまりにやりすぎた。ついにこの手法の可能性は限界に達し、不可避的な「インフレの再来」が起きている。
米国での大幅な金利上昇は、世界経済システムから巨大な量の流動性資産を吸い上げている。ウォーレン・バフェットがよく言ったように、「満ち潮はすべての船を浮かべる。…潮が引いときだけ、誰が裸で泳いでいたかがわかる。」10年半にわたる金融緩和の後で、経済の巨大な部分が「裸で泳いでいた」ことになる。その金が止まったとき、結果は破滅的なものになるだろう。米国が資本主義の食物連鎖の頂点にあり、基本的に国際的な信用状況を支配しているので、たとえ米国が危機の震源地であるとことが判明したとしても、その支配的な立場を利用して、世界の他の国々に結果の代償を払わせることができるだろう。このことは、特に発展途上諸国にとって破滅的なものになるだろう。その多くは、例えばスリランカ、パキスタン、レバノンのように、すでに深刻な危機に陥っている。しかし、その結果は世界的なものであり、米国が今日同盟諸国と見なしている大国からも含めて、必然的に世界秩序にさらなる打撃を与えるだろう。
経済体制のかなりの部分が、世界経済の見通しについて、公然と嘘をついているか、故意に見えなくさせている。社会民主主義左翼のある部分は、政府債務の高水準は何ら懸念するものではなく、働く人々は、現在の高金利政策からよりも、低金利とより多くの債務から得をすると主張している。これは、できれば次の選挙を通り越して、もう一度難題を先送りしたいと願っているブルジョアの意見と同じである。真実は、高債務であれ、高インフレであれ、デフレのいずれであれ、あらゆる選択肢にある政策が労働者階級の生活水準を攻撃するために使われるということである。根本的な問題は、紙で存在する資本と世界経済の実際の生産能力との間にある巨大な不均衡である。どんな金融の魔術でも、この問題を解決することはできない。唯一の解決は、労働者階級が政治的・経済的な支配を握り、合理的な方法で経済を再組織化することである。
右翼の経済学者にとって、解決策は自由市場に任せることである。つまり壊滅的な危機がやってくることを受け入れ、弱者は死なせ、強者はもっと強くなるように浮上させる。しかし、自由市場の資本主義の時代はとうの昔に過ぎ去った。世界経済は少数の巨大独占企業によって支配され、他の国々の独占企業と競争している。いかなる国家も彼らの独占企業を崩壊させる準備はできていない。もしフォードやGMが倒産したなら、これは米国の自由企業を復活させるのではなく、トヨタやフォルクスワーゲンを強化するだろう。抑制のきかない資本主義は、自由市場ではなく独占をもたらす。一方では、これは世界的規模での中央集権化された計画生産への傾向を示す。しかし他方では、帝国主義の下で、独占は生産力の成長を妨げ、衰退と寄生をもたらすのである。
経済学者のマイケル・ハドソンのような社会民主主義者にとって、万能の解決策は「混合経済」であり、国家の介入と規制を伴う資本主義である。これは、過去数十年間、経済界や政府筋では異端と見なされたのに対し、現在計画が再び流行を見せている。このことは啓蒙からではなく、各国の資本主義が破綻を食い止め、中国と競争するためにてこ入れが必要だからである。労働者階級が階級闘争を通じて資本家から譲歩を獲得することができる一方で、帝国主義の矛盾を規制によって解決することなどできない。制度の非合理性と寄生は、まさに資本主義的蓄積の動力に根ざしている。政府はそれ自身、金融資本家の小さな集団に対抗するものではなく、この金融家たちの執行委員会として尽くしているのである。政府が経済問題に介入する場合、それが究極的には帝国主義支配階級の利益のためである。
ウクライナ-ロシア戦争:
米国の覇権に対する軍事的挑戦
ロシアによるウクライナ侵攻は、ソ連邦崩壊以来、間違いなく米国の覇権に対する最大の挑戦である。大国がこれほど直接に米国に逆らう自信を持っただけでなく、今までのところうまく切り抜けてきたことは、実際に大きな転換点を示している。この戦争は過去数十年のどの戦争とも異なっている。それは、低レベルの反乱弾圧戦争ではなく、高強度の産業を伴う戦争である。衝突の結果は、ウクライナ自身の運命を決定づけるだけでなく、ヨーロッパや国際的な力の均衡にも大きな影響を与えるだろう。
ウクライナ戦争における二つの決定的当事者は、ロシアと米国である。この戦争は、何十年にも亘るNATOの東方への拡大によって勃発した。その東方には、ロシアが自らの勢力圏にあると見なす国々が存在している。ロシアは、ウクライナを極めて重要な戦略的利益と見なしている。そしてウクライナを自国の領域に確保するかまたは敗北するか、そのどちらかになるまで、衝突をエスカレートさせる準備をしている。米国の立場はもっと複雑である。ウクライナは、米国にとって戦略的価値が小さく、ヨーロッパに隣接するへき地と見なされている。西側の自由主義体制にとって、「ウクライナを守ること」とは、自由主義の世界秩序を守ること、つまり、米国が望む所はどこでも満足させながら、米国の権利を守ることである。
ロシアによるウクライナの打破は、米国にとって屈辱的な一撃になるだろう。それは弱さを示すことになり、ヨーロッパの政治体制に不安定さをもたらし、NATOの将来に疑問符を付けることになるだろう。こうした高い危険度を考慮し、米国とその同盟諸国は戦争を継続的にエスカレートさせ、ウクライナにこれまで以上の武器を供給してきた。ロシアは部分的な動員を招集することで応じてきた。そしてウクライナ軍を壊滅している。米国が緊張を高めつつある一方で、米国もその同盟諸国も、戦争経済に移行したり、直接介入したりして、ロシア軍を決定的に打ち負かすことにまだ全力を傾けていない。今のところ、軍事衝突はウクライナの支配をめぐる地域的な衝突にとどまっている。
労働者階級の指導者たちは、いたるところで、プロレタリアートを支配階級の利益の背後に整列させてきた。しかし、戦争の社会的影響によって、反乱の種は日々蒔かれている。マルクス主義者にとって、この対立の中で労働者階級の利益を前進させることができる新しい指導部を建設するために、この増大する矛盾に介入することは、最も重要である。根本的な出発点は、ウクライナの衝突に責任を負っているのが、今日米国支配の自由主義秩序として規定された帝国主義体制そのものだということでなければならない。全世界のプロレタリアートは、世界に対する帝国主義の専制政治を終わらせるのに関心を持っており、ロシア人、ウクライナ人、アメリカ人、中国人、インド人のいずれであろうと、この基礎に基づいてのみ、世界の労働者は団結することができる。しかしながら、この一般的な展望の適用は、各国における考慮すべき事柄に従い、異なった具体的表現をとる。
ロシアの労働者は、自国政府の勝利が帝国主義に根本的な打撃を与えないことを理解しなければならない。その勝利は、世界帝国主義からロシアの独立を促進するのではなく、ロシアのオリガルヒの利益のために、ロシアをウクライナの階級的兄弟姉妹の抑圧者にするだろう。ロシアがどんな短期的な敗北を米国の外交政策に与えようとも、ウクライナの人々の抑圧者になるという代償に見合うものではない。ウクライナ人とロシア人の間の果てしない対立は、この地域における世界帝国主義の勢力を強めるだけだろう。偉大な十月革命のように、NATOとEUは、それぞれの支配階級に反対するロシアとウクライナ労働者の共同の革命戦線によって、はるかに強力な打撃を加えられるだろう。ロシアとウクライナのオリガルヒに対して銃を向けよ!米帝国主義に対する革命的統一を!
ウクライナの労働者は、米国、EU、NATOが彼らの味方でないことを理解しなければならない。米国、EU、NATOは、ウクライナを、骨の髄までしゃぶり、それから捨て去るために、自身の利益の手先として利用しているのである。ウクライナの民族的独立は、帝国主義と協調しても確保されない。それはワシントンへの隷属を意味し、ロシアからの恒久的な敵意を保証するだろう。ウクライナの労働者は、ウクライナ政府によるいくつかのロシアの少数民族の抑圧にも反対しなければならない。いくつかのロシアの少数民族をそのように防衛することは、ゼレンスキーの企てよりも、クレムリンの戦争努力を弱めるのに百万倍も役立つだろう。国境と少数民族の権利の問題は、オリガルヒと帝国主義者による反動的な陰謀がなければ、簡単にかつ民主的に解決することが可能だろう。日々益々明らかになっているのは、ウクライナの労働者が、ワシントンの指揮下で、またウォール街の利益のために殺りくへと送られていることである。彼らは、この狂気に終止符を打つため、ロシアの労働者階級と団結しなければならない。それ以外のことはすべて、さらなる大虐殺と抑圧をもたらすだけである。ロシア人、ウクライナ人、チェチェン人、あらゆる他の少数民族の自決権を!
西側諸国では、労働者は、ウクライナの民主主義のためにNATOによる聖戦という名の下で犠牲を払う必要があるというプロパガンダを浴びせかけられてきた。米国、ドイツ、ブリテン、フランスのプロレタリアートが、自身の利益と世界の労働者の利益を防衛するためにできる最善のことは、自国で彼らから搾り取っている金融の寄生者や独占企業に対し反撃することである。これを実行するためには、まさにそうした勢力に忠実な労働組合や社会民主主義の指導者の反動的な徒党を一掃しなければならない。彼らによる国内での裏切りは、NATOの戦車と爆弾で海外に「民主主義」を打ち建てるキャンペーンと切り離すことができない。こうした裏切り者は、平和主義者や中間主義の泥沼がなければ、とっくの昔に消え去っていただろう。この裏切り者は、「平和」、「労働組合闘争」、「社会主義」さえ口にしながら、戦争挑発者や公然たる帝国主義の下僕の尻尾にしがみついている。反戦運動は、労働運動における社会排外主義の調停者を排除する場合のみ、その価値がある。ロシアへの制裁を撤廃せよ!EUとNATOを打倒せよ!ヨーロッパソビエト合衆国を!
ラテンアメリカ、アジア、アフリカにおける益々多くの勤労者は、帝国主義に対する勢力として、ロシアに期待を寄せている。この信頼は見当違いであり、米国、西ヨーロッパ、そして日本のくびきから彼らを解放するのに何の役にも立たない。プーチンは反帝国主義者ではないし、いかなる国の民族解放闘争での同調者ではないだろう。正にこの理由から、メキシコのロペスオブラドール、南アフリカのラマフォサ、インドのモディ、中国の習近平がプーチンに賛同するのである。プーチンへの支持は、グローバル・サウスの労働者階級を、革命闘争なしで生活条件を改善し、帝国主義から自身を解放することできるという幻想でなだめる。世界の被抑圧大衆によるわずかな高揚の兆しでも、グローバル・サウスの反動的指導者たちは、今日彼らが非難しているまさに帝国主義者に期待を寄せるだろう。真の反帝国主義勢力は、ウクライナ、ロシア、西側の労働者である。彼らと世界の労働者は、大国の手によるものであれ、抑圧された国々の手によるものであれ、すべての民族抑圧に反対することによってのみ、共通の国際主義の下で団結することができる。帝国主義所有の資産を国有化せよ!万国のプロレタリア、団結せよ!
中国:スターリン主義の一帯かプロレタリアの一路か
過去30年間、中国を成長させ繁栄させた原動力がますます急速に破綻に向かうなか、中国共産党によるグローバルな自由市場資本主義への信頼は揺るぎないままである。習近平は、2022年のダボス世界経済フォーラムで話すなかで、次のように主張した。
中国共産党にとって不運なことに、「多国間貿易システム」の将来は、何よりもまず米国の行動に依存している。そして米国は、現在の傾向を持続させることができないのだ。米国は、そのトップの地位を維持するため、世界の他の国々から譲歩を強制的に引き出すか、あるいは、米国が崩壊すれば、その構造を破滅させるかのどちらかである。
10年以上もの間、米中間の緊張は増大してきた。中国が自由主義の民主主義に向かって前進しているのではなく、真の経済的・軍事的競争相手になりつつあることが明らかになるにつれ、米国は圧力を強めてきた。この圧力の高まりにより、中国共産党が経済や政治的反対派(例えば香港)の内部統制を強化し、軍事拠点を強化するのを後押ししている。その結果、米国が圧迫を一層加えることに導いている。この加速する動力は、米中間の緊張を、数十年来の高水準まで高め、公然たる軍事衝突の恐れへと追い込んでいる。
こうした事態が発生した場合、中国の防衛のために無条件に立ち上がることは、国際プロレタリアートの義務である。帝国主義者は、中国経済の集産化された中核が可能にしてきた経済的・社会的進歩の故に、まさに中国と激しく対立している。これこそ、労働者階級が防衛しなければならないものである。しかし、労働者階級は、寄生する中国共産党官僚の方法と目的ではなく、自身の方法と目的に従ってそうしなければならない。
トロツキーは、ソビエト社会主義共和国連邦に関連して、「ソ連を真に防衛する方法は、帝国主義の地位を弱め、かつプロレタリアートと世界中の植民地諸民族の地位を強めることである」(『裏切られた革命』[1936年])と説明した。この戦略は、今日の中国に完全に当てはまるものだが、中国共産党が追求する戦略とまったく共通するものはないだろう。中国共産党は何よりもまず現状にしがみつこうとしている。第一に、中国共産党は、ビル・ゲイツ、イーロン・マスク、ジェイミー・ダイモンのような米国の資本家にもたれかかることで、米国との諸関係を修復しようとしている。こうした資本家は、世界を抑圧し、中国を支配しようとするまさにその階級の代表者である。このような諸工作は、中国に対する米国の労働者の敵意を増大させ、米帝国主義に反対する闘争において、中国の最大の潜在的同盟者を遠ざけるだけである。グローバル・サウスの抑圧された人々に関しては、中国共産党は彼らの解放のためではなく、これらの国々のエリートとの幻想的な同盟のために立っている。そうした利己的な詐欺師たちは、最初の困難に直面したとき、または帝国主義者により良い賄賂を提供されれば、必ずや中国を見捨てる。
中国の官僚には、中国を防衛する最も確かな方法として、人民解放軍の強化に期待を寄せる好戦的な姿勢の意見が存在する。人民解放軍の技術力と戦闘能力の増強は歓迎すべきことである。しかし、軍事問題は政治と切り離すことができず、この分野でも支配カーストの保守的な利害が中国を掘り崩している。人民解放軍による防衛戦略の重要な柱は、中国周辺のいわゆる「第一列島線」に米国を接近させないことである。それは、こうした島々に対する軍事的支配を追求するだけでなく、長距離攻撃能力を開発することで、これを実現しようとしている。しかし、いかなる対立においても、周辺諸国のプロレタリアートからの支持は、いくつも小さな無人の岩を所有することよりはるかに決定的である。
米国と日本の帝国主義を東中国海と南中国海から真に追い出す唯一の方法は、この地域全体を取り囲む労働者と農民の反帝国主義同盟によってである。しかし中国共産党は、その民族主義戦略のために、フィリピン、日本、ベトナム、インドネシアの労働者を自らの大義に獲得しようとしていない。それどころか、中国共産党は、近隣諸国の民族感情と国内の階級対立を無視する一方で、短期的な軍事的優位性だけに焦点を当てることにより、帝国主義者の反中国キャンペーンの術中にはまってしまう。
台湾問題ほどこのことが当てはまるものはない。台湾の労働者は、資本主義支配階級の締め付けの下で、残忍な抑圧を被ってきた。しかし、中国共産党の戦略は、帝国主義者と当地のブルジョアジーに対する自身の階級的利益のために闘うよう労働者を勇気づけるのではない。その代わりに、台湾のブルジョアジーが自発的に中国共産党の支配に服従し、中華人民共和国に加わるよう説得することに基づいている。そのために、党は「一国二制度」政策の下で、台湾の資本主義経済関係と政治統治を維持するのを保証している。労働者に対しては、中国共産党は、解放ではなく、引き続き資本主義の搾取とスターリニストによる弾圧の締め付けへの支持を提案している。驚くことではないが、この「両者利益のない」提案は、台湾の大衆を再統一へと獲得するのに、ほとんど役に立っていない。
中国共産党の次善作は直接の軍事介入である。それは、台湾を再統一するのに成功する可能性はあるが、とりわけ当地の労働者階級の敵対に直面した場合には、莫大な犠牲を伴うだろう。もし中国共産党がこの方法を取るなら、トロツキストは、台湾の資本家と帝国主義者に対し断固として人民解放軍を防衛する立場を貫くだろう。しかしトロツキストは、プロレタリア革命戦略のために戦うなかでそうするだろう。「一国二制度」という破綻した策動に反対して、トロツキストは革命的再統一のために闘う。すなわち、台湾での資本主義に対する社会革命と大陸での官僚制に対する政治革命を通じて、再統一のために闘う。この戦略は、中国の労働者を、共通の階級的で民族的な利益に基づいて統一するだろう。それは、米国と台湾のブルジョアジーとの間の反共同盟の足元を切り崩すだけでなく、帝国主義に反対する闘いにおいて、中国を世界中の抑圧された人々の道しるべに変えるだろう。
今日、中国共産党は社会主義と資本主義双方への忠誠を公言し続けているが、この状況が長く続くことを当てにしてはならない。中国と外国の資本家につながる強力な勢力が存在する。この勢力は、国家統制のいかなる形跡も根絶し、中国を再び帝国主義の略奪へと開放するのを強く望んでいる。そうした結果は、死ぬまで戦わなければならない!しかし、労働者階級の不満の圧力の下で、党を極端に左傾化させうる潮流も支配カースト内に存在する。彼らは、資本家を厳しく取り締まり、伝統的な毛沢東主義の反帝国主義や平等主義の美辞麗句を引っ張り出してくるだろう。しかし、ちょうど鄧小平の市場改革と同様に、毛沢東による熱狂的な大衆動員に基づく平等主義の専制政治の企ては、中国に対する世界帝国主義の経済的締め付けを克服することができなかった。実際、毛沢東の政策の大惨事は、中華人民共和国を崩壊の瀬戸際へと追い込み、「改革開放」への中国共産党の転換に直接つながった。
中国共産党の紆余曲折は、寄生的官僚カーストが、孤立した労働者国家の境界内で、その特権的地位を維持しようとするさまざまな手段を反映しているに過ぎない。毛沢東から習近平までの中国共産党の主張に反して、社会主義は一国で建設することができず、帝国主義との平和共存も不可能である。中国の労働者階級にとって唯一前進する道は、階級の独立、国際主義、世界革命という真のマルクス-レーニン主義の原則の下で建設された党に団結し、私利私欲の中国共産党官僚を一掃することである。 官僚を追放せよ!帝国主義と反革命から中国を防衛せよ!
VI. 革命的指導部のための戦い
世界が新たな歴史的危機の時代に入るなか、労働者階級は政治的に武装解除されたままである。いたるところで、次々と敗北を監督してきた官僚や裏切り者に導かれている。巨大な挑戦が迫っているなかで、労働者階級の利益を真に代表する指導部を鍛え打ち固めるという任務が、最も緊急な問題として提起されている。どのようにこうした指導部を鍛え打ち固めるのか?これこそが、今日革命家に突きつけている中心的な問題である。これから数年の間に、不可避的に起こる社会的・政治的な激変は、大衆を現在の指導者たちに反対して高揚させ、労働運動において抜本的な再編の機会を提供するだろう。しかし、過去30年間の失敗した政策を拒否し、今日の任務を正しく提起する既存の革命的カードルなしには、こうした好機は無駄にされるだろう。
レーニン主義の中心的な教訓
トロツキーは、『永久革命』(1929年)のなかで、レーニンについて次のように書いた。「プロレタリア政党の独立した政策のための闘争は、彼の生涯の主要な内容を満たしていた。」修正主義のそれぞれの新たな波によって拒絶されることこそ、まさにレーニン主義のこの核となる概念である。その波は時代の支配的な圧力に従って独特な形をとるが、修正主義は、いつも基本的には、異質な階級の利益へのプロレタリアートの従属から成っている。
レーニンによる前衛党の概念は、第一次世界大戦の勃発後に、成熟した形をとった。この時、戦争反対を誓っていた第二インターナショナルの諸党が、圧倒的に愛国心に駆られて自国政府の背後に整列した。戦時中の著作のなかで、レーニンは、この歴史的な裏切りが、どこからともなく生じたのではなく、いかに帝国主義優勢の先行する時期で準備され、それに根ざしたものかを示した。少数の大国による数えきれない数百万人もの搾取は、超過利潤を生み出した。そしてこの利潤は、労働者階級の上層を引き入れるために利用された。この層は、その習慣、イデオロギー、目的において、労働者階級の利益に反して、それ自身ブルジョアジーと同調している。社会民主主義の大部分が全面的に屈服したことは、労働運動における親資本主義の傾向が支配的になっただけでなく、インターナショナルの革命的翼だったものの大部分をすでに麻痺させ、また取り込んでいたことを示していた。
この経験から、レーニンは、労働運動の親資本主義的分子との統一が、資本家階級自身への政治的従属を意味し、必然的に社会主義のための闘いを裏切るという結論を引き出した。彼の非難の矛先のほとんどは、労働運動内の中間主義者に向けられた。彼らは、社会主義の原則を公然と拒否していなかったが、にもかかわらず労働者階級に対する公然たる裏切り者との統一を、どんな犠牲を払っても、維持しようとした。レーニンは、中間主義者が、大衆を革命への道に導くことのできる党を建設する上での主要な障害物だと主張した。この教訓は、ロシアで成功した十月革命にとって極めて重要であった一方で、ドイツでは、この教訓を適時に理解できなかったことが、1919年のスパルタクス蜂起の敗北につながった。戦争と革命の灰の中から、第三インターナショナルが設立されたが、それは革命のために戦うと主張するいかなる党も、労働運動の親資本主義と中間主義の翼から政治的、組織的に分裂しなければならないという原則に基づいていた
戦後の革命の波が後退するなかで、資本主義の安定した時期がその後続いた。このことはソ連邦を世界舞台で孤立させた。スターリン主義が現れたのは、まさにこうした状況のなかであった。スターリン主義は、レーニン主義の本質的な構成要素である労働者階級の政治的独立を否定した。スターリンは、ソビエト社会主義共和国連邦を防衛するために、国際労働者階級による革命の拡大に頼るというよりむしろ、他の階級勢力にますます頼った。それが、クラーク
(富農)であろうと、中国の国民党であろうと、ブリテンの労働組合官僚であろうと、帝国主義者自身であろうと、スターリンは、短期的な利益と思われるもののために、労働者階級の長期的な利益を犠牲にする協定を結んだ。これは、ソ連邦を強化するどころか、次から次へと流血の惨事を引き起こし、国際プロレタリアートの全般的な立場を弱体化させた。
トロツキーによる左翼反対派のための闘争と新たなインターナショナル、つまり第四インターナショナルのための闘争は、まさにレーニン主義の継続であった。それは労働運動における社会民主主義とスターリン主義の諸傾向に対して、国際的な前衛党を建設するために闘うことである。トロツキー自身を含むカードルの肉体的抹殺は、政治的方向性の喪失へと導き、第二次世界大戦の大量殺りくに続く革命的好機での敗北につながった。その結果はスターリン主義と世界帝国主義の強化であった。こうした歴史的敗北と、その時以来第四インターナショナルを再度鍛え打ち固めることの失敗がソ連邦自身の破壊に至るまで、さらなる破滅的な後退をもたらしたのである。
ソ連邦崩壊後の時代:「マルクス主義者」は
自由主義へと解体する
ソ連邦で反革命が起こったとき、トロツキズムの権威を主張していた勢力の圧倒的な多数は、十月革命の残存した獲得物が破壊されるなかで傍観し、そして注視するか積極的に拍手を送った。ICLだけが、スターリニスト官僚制に反対して、ソ連邦の防衛と政治革命というトロツキーの綱領のために戦っていた。小さな規模と政治的弱点にもかかわらず、ICLは、この時代の決定的な試練に直面したとき、その任務の場にいた。しかし、その弱さと孤立は、新しい歴史的時代の幕開けにおいて、革命的左翼の悲惨な状態の多くを物語っている。
ソ連邦崩壊の結果は、マルクス主義者だと主張するすべての人々にとって、壊滅的であった。世界の急速な右への転換は、ボナパルティズムやファシズムではなく自由主義への転換であり、組織的、政治的な解党主義に向かって巨大な圧力を生み出した。こうした世界情勢の転換に伴い、なすべき任務は、近年におけるプロレタリアの敗北の教訓に基づき、支配的な自由主義への政治的反対のなかで、革命的な労働者階級の前衛をゆっくりと忍耐強く再建することであった。ICLがソ連邦崩壊を説明することはできたが、他の「マルクス主義」左翼と同様に、自由主義に取って代わる革命的な代替を構築するのを拒否した。
自由主義に順応し、労働者階級の独立した前進の道筋を指し示すために闘わないことで、「マルクス主義」左翼は、新しい時代の安定と相対的な繁栄を前にして、羅針盤を持たなかった。自身の存在を正当化するために、こうした左翼は、危機を大げさに取り上げ、帝国主義が反動的な性格を保持しているのを「証明」するため、特定の残虐行為とか反動的な政策を指摘することに訴えた。これは単に支配的な自由主義に適合していただけだった。この自由主義は、金融資本の拡大による世界の「平和的な」搾取という状況下にあって、戦争や人種差別主義といった
「行き過ぎ」を抑制したいと望む批評家たちに何の問題もなかった。
ソ連邦崩壊後の時期における戦争、緊縮政策、人種と民族抑圧は、もちろん労働者や若者が反乱を起こす原因となった。しかし、この反乱が革命的な性格を持つようになるためには、こうした様々な闘争を支配する自由主義の指導部が、闘争を前進させるうえで、いかに障害物であるかを暴露することが必要だった。反乱の正当な感情と、こうした惨禍を生み出す制度への自由主義者の忠誠心との間の矛盾を、激化させることが必要だった。提起された任務は、これらの運動を自由主義の指導者から切り離すことだった。しかし、いわゆるマルクス主義諸組織のどれも、これを目下の任務として認識すらしなかった。それどころか、「革命家」たちは、浮上する現状への自由主義的反対の波のひとつひとつにしがみついた。そしてブルジョア運動なるものに、ほんのわずかなマルクス主義的色彩を与えたのである。
より右翼の「トロツキスト」諸組織は、マルクス主義の見せかけのほとんどを放棄し、どこの緑の党であれ、米国の民主党であれ、ブリテンの労働党であれ、ブラジルの労働者党のどれであれ、新自由主義の左翼を打ち建てた。第四インターナショナルの偽装者であるフランスのマンデル派は、共産主義革命同盟を解党し、それを無定形の反資本主義新党に置き換えた。その公言した目標は、もはや労働者階級の革命ではなく、単に「温和な社会自由主義に代わる戦略的な選択肢」(ダニエル・ベンサイド)を作り出すことだった。最悪のセクト主義に後退するものもいた。ノース派(世界社会主義ウェブサイト[World Socialist Website]で知られている)は、グローバリゼーションの時代において、労働組合が「国際的に組織された企業に真剣に挑戦することが単にできない」のであり、したがって完全に反動的になったと公言した。この反労働組合の立場は、その急進的な言い回しの割に、ただ組合の自由主義的指導部を問題にしないまま放置しておくだけである。
ICLや国際主義グループのような中間主義グループについては、一般的に革命的指導部の必要性や
「改良主義との決別」を公言し続けたが、しかし左翼を自由主義から分裂させる必要性を完全に抽象化していた。これは新たな時代における革命党の結集において主要な政治的任務である。必然的に、他の左翼(そして互いに)に対するICLと国際主義グループによる論争は、階級闘争を革命的な方針に沿って導くことに基づくのではなく、時を超越した原則や抽象的な専門用語に基づいていた。
30年に亘る方向性の喪失と自由主義への屈服の結果が、それを物語っている。今日新たな時代が始まるなか、革命を主張する諸組織はばらばらになり、弱体化し、硬化症をもって(文字通りにそして比喩的にも)、労働者階級の闘争の進路にほとんど影響を与えなくなっている。彼らは、何十年もの間、うまくいかずに活動してきたその同じ型にはまったままであ
今日における第四インターナショナルのための戦い
今日の革命のための闘いは、この時代の重要な特徴を正しく理解することに基づいて、築き上げられなければならない。米帝国主義は、依然として支配的な大国であり、築いてきた世界秩序は、地球規模の政治を規定し続けている。それは、対抗する帝国主義大国の積極的な台頭ではなく、すべての帝国主義諸国が経済的・軍事的な重みの相対的な喪失によって、脅かされている。この喪失は、中国(歪曲した労働者国家)と、ある程度の自立性を持ちながらも、依然として世界帝国主義に依存し抑圧されている地域大国に有利に働いた。現在の動力は、世界中で経済的・政治的不安定性が増し、地域での衝突(ウクライナ、台湾など)が全世界に破局的な影響を及ぼす可能性があることを示している。世界秩序への圧力は、各国内の圧力と同様に急速に高まっている。
米帝国主義が先手を取り戻す最も明確な方法は、中国に壊滅的打撃を与えることである。中国共産党官僚は、世界帝国主義と成長する資本家階級と世界で最も強力なプロレタリアートとの間でバランスをとることにより、中国国内に巨大な矛盾を助長してきた。ソ連邦後の平衡が崩れることは、こうした矛盾を激化させるだろう。中国共産党の支配力は、特に国内不安(中国共産党による残忍なロックダウンに対する小規模だが重要な抗議行動に見られたように)に直面した場合、外見ほどに強固ではない。労働者階級は、彼らの経済状況が滞るだけでなく、悪化し始めるなかで、受け身でいることはないだろう。中国の資本家も、官僚による圧迫を受動的に受け入れることはないだろう。結局、中国は、ソビエト社会主義共和国連邦のように反革命に陥るのか、それともプロレタリアートが立ち上がり、官僚制を一掃し、政治革命を通じてプロレタリア民主主義を確立するのか、どちらかである。これがいつ決着するかを予測することは不可能である。いかなる決戦も、反革命と労働者階級の不満の双方を厳しく取り締まる官僚の激しいジグザグが先行することは確実である。中国に関する革命家の任務は、反革命と帝国主義の攻撃から 1949年の革命の獲得物を防衛することである。その一方で、官僚が国際革命の闘いを裏切ることによって、いかにこうした獲得物を絶えず掘り崩しているかを示すことである。
米国とその帝国主義同盟諸国による世界秩序の支配を維持せんとする闘争は、自国の人々に対する社会的犠牲をますます増大させるだろう。すでに帝国主義諸大国の社会構造は、内部から腐敗しつつある。安価な信用、独占利潤、投機的バブルによって維持されてきた均衡は、生活水準が押しつぶされつつあるなかで、もはや維持できなくなっている。数多くの西側諸国では、労働者階級の高まる不満の兆候が見られる。フランスは最も爆発的だが、米国やブリテンなどの国々でも労働組合闘争の増大が見られる
こうした闘争の第一波が打ち破られつつあるが、組合の基盤では圧力が高まるしかないだろう。より明らかになっているのは、労働者階級に突きつけられた問題は現状に対する姑息な調整では解決できないということである。これは、労働者階級を革命的な闘争の道に導くことができる労働組合指導部の必要性を、これまで以上に鋭く突きつけるだろう。この発展を鈍らせている主な障害物は、革命的な綱領に基づき現在の指導者に対して反対勢力を打ち立てる代わりに、親資本主義だがわずかばかり左翼的な組合指導者を支持するいわゆる「革命家たち」である。こうした中間主義に対する闘争においてのみ、労働組合を現在の親資本主義的指導部から分裂させることが可能である。
脅威が蓄積するなかで、自由主義は益々狂気じみてヒステリックになっている。これは、現状に必死にしがみつく自由主義の小ブルジョアジーを反映している。しかし、それはまた、増大する右翼反動に直面した被抑圧者のもっともな恐怖をも反映している。西側の革命家たちは、高まる反動と闘うために、移民や人種的マイノリティ、そして女性や他の性的被抑圧者を防衛する運動を束縛する自由主義を打破する必要があるのを理解しなければならない。こうした運動の綱領のある個々の要素、例えば警官の改革とか国家への訴えのようなマルクス主義的響きがする批判は十分ではない。自由主義が、被抑圧者の闘争を前進させる上で、いかに直接の障害物であるかを実践的に示すことによってのみ、大衆への自由主義の支配を打ち破ることができる。このことは、傍観者としてではなく、闘争の内部からしかできない。それは、資本主義専制のあらゆる現われに対する階級闘争の対応を準備することによってである。
世界秩序の衝撃は、ピラミッド構造の底辺に位置する国々を最も激しく襲うだろう。少し前まで可能であると思われたより良い生活の見込みは、今や何億もの人々にとって閉ざされつつある。アジア、アフリカ、ラテンアメリカの新たな労働者階級の層は、資本主義にとって最大の脅威を意味する。グローバル・サウスの大衆は、益々村の孤立を離れ、都市化され、読み書きができ、世界とつながっている。世界の生産における彼らの役割の増大は、彼らにとてつもない力を与えているが、にもかかわらず彼らの展望はたださらなる貧困化である。こうした剥奪された人々のうねりこそ、ポピュリスト勢力を前面に押し出しているのである。こうした国々の脆弱な資本家階級は、彼ら自身を一掃する恐れがある下からの圧力と、国際資本の流れを支配する帝国主義の金融支配者からの圧力の間で、バランスを取らなければならない。左翼的な扇動と宗教的な蒙昧主義は、今のところ社会的不満を抑制するのに効果的であることが証明されている。しかし、これが失敗した場合、軍事独裁がいつでも控えている。
帝国主義に抑圧された国々では、大国の支配からの民族解放のための闘いと、他の最も基本的な民主的任務の解決は、決定的な役割を果たす。こうした闘いが激化するなかで、あらゆる局面で示されるのは、民族ブルジョアジーが、私有財産のために民族解放と労働者階級と農民の解放を犠牲にして、裏切りの役割を果たすということである。革命家はこの戦いに入り、すべての被抑圧者の先頭に立つ労働者階級だけがいかに解放へと導くことができるかを、あらゆる局面で示さなければならない。
いかなる状況下でも、権威主義のまたは蒙昧主義の政府に対する闘争においては、親帝国主義の自由主義的近代化勢力とのほんのわずかな譲歩や同盟も正当化することはできない。それは、反動を強めるだけであり、一方で民主的改革勢力を帝国主義に結び付けるだろう。ブルジョアジーが自らを左翼的な「反帝国主義」色で塗り固めている国々では、帝国主義に対する戦いを推し進めることにより、彼らのうその偽善を暴く必要がある。傍観して革命を説教するほど不毛で逆効果なことはない。帝国主義の利益に打撃を加えるいかなる改革も、防衛することは義務である。しかし、それは、いかなる場合でも、ブルジョア・ポピュリズムを支持するのを正当化してはならない。労働者階級は、その独立をいかなる犠牲を払ってでも防衛しなければならない。そのなかで常に明確にしなければならないのは、自身の方法と目的を持って、すなわち革命的な階級闘争の方法で、帝国主義と戦うということである。
国際革命のために闘う勢力は、今日極めて小さい。明確な綱領と展望に基づく勢力の再編は不可欠である。われわれは、第四インターナショナルのための勢力を再建し再編する過程に貢献するものとして、この文書を提供する。ICLは、これまで内部論争と政治的な方向性の喪失にはまり込んできた。けれども、ICLが開始した打ち固めるプロセスの作業は、来るべき社会的混乱と衝突の時代において、決定的な役割を与えることを確信している。トロツキーは次のように説明している。